あの人が嫌い。①

「好き」の話は、このblogでも何回か書いた記憶があるけど
「嫌い」の話はあんまり書いたことがないなぁ…などと思い、書いてみる。

 

まず「嫌われる」方の話から。

 

すごく残念な話なのですが、この3年でけっこうな人に嫌われたなぁ…などと思う。

残念である。

僕は「なるべく当たりさわりなく生きていたい」

をスローガンにかがげ、事なかれ主義で日々暮らしているので(笑)

人 (特にこちらが別に嫌いでない人)に嫌われるのはけっこう悲しい。

悲しいし

嫌だけど

でも、まぁ仕方ない

…と心のどこかでは思ってもいる。

生活してれば、そら一定数の「嫌い」にも出会うよね。

と、あきらめないとやってられない

というのが正直なところですが。

 

例えば、僕のことを嫌いになった人の話なんかが噂で回ってきたりもする。

「〇〇だから嫌いらしい」なんて話を聞く時もある。

「え?それ事実とぜんぜん違うやん?そもそも前提がおかしくない?」

みたいに僕目線では思ったりもするけど、あくまでもそれは僕目線の話なので

もうすでに嫌われてる場合、

「それは誤解です」と相手に説明したとこで、どうせ届かないし

そもそも誤解を解く…とかそういう問題でもない。

嫌いになられた時点で、「嫌いになったキッカケのエピソード」っていうのは、たして問題じゃないものになってると思うのです。

その「嫌い」という感情にいたるまでの過程の方が大事というか。

「何を言われても、嫌いなもんは嫌い!」って。まあ、それが普通。

そもそも「嫌い」「気に入らない」という感情論なんで

もう、どっちが正しいとか間違ってるとか関係ない。

事実関係って、割とどうでもよくなってるのでね。

 

僕を嫌ってる人にたいして、

自分の正義を証明しようとか奮起し

説明してわかってもらおうとする行為は、

もう説得というよりも、相手を無理やり論破しようとするのに近いと思うんです。

論破ってのは、そもそもよくない。

論破という行為には結果として、

勝った/負けた という概念がついてくる。

勝ち負けが生まれると、勝っても負けてもお互いにあまり後味がまりよろしくない。

 

けっきょくなんの解決にもならない。

嫌いなものは嫌い、みたいな。

むしろもっと嫌われるやん。みたいな。

 

これ、若い頃ならなんとかしようと暑苦しく相手に迫っていた気もしますが

今なら、お互い関わらないようにするのが正解なんだろうな…とか思えるようになったのは
僕が大人になったから…ってよりは、きっと僕が歳をとったから。

 

そもそも誤解っていうのは解けないもんなんです。

…という話を以前に書いた記事
↓

誤解のすゝめ
「誤解」というものについて、ちょっとだけ考えてみた。 意味はこんな感じらしい。 《名・ス他》 意味をとりちがえること。まちがった解...

 

でも、

そんな僕のことを嫌いになった人とも、いつかまた話せる時があればいいなぁ

なんて、けっこう本気で思ってはいる。

 

僕が「嫌われてる」っていうのだけでは

僕がその相手を「嫌いになる理由」には別にならないので

意外に、僕はその人をまだ嫌いではなかったりする。

 

嫌いではないけど、

ないんだけど

無駄なトラブルや気まずいのは嫌なので

なるべく関わらないようにはしてますが。

 

自分で書くのもあれですが、それなりに忙しく、時間なく過ごしているので

嫌われてる人に時間を割くよりも

いまは、僕のことを好きと言ってくれる奇特な人たちに時間を割きたいなとは思ってます。

だから関わらない…っていうのが、今の自分には正解かな…と。

そうか。

書きながら気づいたけど

これ「歳をとって、人間関係をあきらめることを覚えた」と思ってたんですが

きっとそうじゃなくて、

人間関係に使う時間の配分を、いまさら覚えただけなのかもな…と思った。

有意義な方に時間を使おう!という、当たり前の時間配分か。

 

それでも、自分はけっこう”話せばわかる”と本気で思っている派なので、疎遠になったそんな人とも、いつか真正面から話せる機会があったらいいなぁ。なんて夢をみつつ。

なかなか難しい話ですが。

 

今回は「僕が嫌われてる」話を書いたので、

次回は「僕が嫌い」の方の話を書いてみたい。

つづく

 

さて。本日です。ソロライブ。

お時間ある方は遊びに来てね。


画像はかたくなにアイアンマンです。

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