「自分探し」みたいな概念がある。
特に若い人なんかは
「何か大きなことを成し遂げて、価値のある自分になりたい」
…と、日々もがいてる人も多いと思うし
そういう既存の成功的価値観とは別のとこで
「生きていくうえで、何か人とが違うような
自分的に大切な意味を見つけたい」
と、日々、モンモンとしている若い人もいるかもしれない。
価値のある自分
意味のある自分
を探して、
まだ「何者でもない自分」が、いつか「何者かになる」ためにがんばる!!
そんな風に日々すごしてる若い人も多いのではないでしょうか?
ただ、この「自分探し」みたいな概念
これって社会的には過去の感覚というか。
ちょっと古い。
バブル期…かつて日本の社会が裕福で、みんなお金や生活に余裕があった頃の感覚であり、価値観。
「お金を稼ぐだけじゃない、お金とは別の価値観が生きていくうえで大切なんだ!」
みたいな話。
「たしかにそのとおり!」と僕も頭では思いはしてるのですが、
日々の生活に追われがちななかで、そんなことを考えてる余裕すらないよ!
…ってのが、現実ではないでしょうか。
いま残念ながらみんなお金ないからね。
昔とはちがって
「無駄を満喫して自己実現に夢をみる」
という行為がすごく贅沢な行為になってる気はする。
端的に言うと、みんな貧乏なので夢をみる余裕もない社会…みたいな。
ああ、夢がない。
悲しいもんです。
とはいえ、若者の「自己実現」「自分探し」という概念は、常にあるものだとも思ってます。
たとえ社会が貧乏になろうとも。
僕は、若者の仕事というのは、まず (それが結果的に間違っていようが)
「上の世代が築いてきたものを否定すること」
だと思っています。
まずは、大人を否定しないとはじまらない。というか。
そして否定するからには、それに変わる別の価値観を強く提示していかなければならない。
つまり、それって自己実現であったり、自分探し…みたいなことになるのかな?と。
…オレはもう若くないのでわかりませんが、これを読んでいる「今の若者」である、あなたはいかがでしょうか?
新しい価値感を提示していって、
それを自分自身の価値にしていきたい感覚
とでもいいましょうか?
これって、ある種 すごくエゴイスティックだと思うし
自分自身に対しての 価値を見つけたり、意味付けを、いちいち していかないとやってられないというのは、時代に関係なく人間のサガ…的にも思います。
で、ここまでダラダラと書いてきて、ここからがようやく本題なのですが
上までをふまえたうえで
過度に
自分に対して意味付けを欲しがる人
自分の価値を欲しがる人
“何者か”になりたい人
って、もしかしたら”誰かに必要にされたい”だけの人なのかな?と、ふと思いました。
誰かに必要とされたい
つまり、少しさみしがりな人
誰かに必要とされたいために、自分に対して意味付けをがんばってる…みたいな。
最近、他の人がそんなふうに見えた瞬間がありまして。
承認欲求の裏返しみたいな。
先日、twitter(X)で、「倉坂さんがいなくなったら困る人いっぱいいます」みたいに書いてもらってたのを見まして
これ自体は本当にすごくありがたいと思ったんですが
ただ、実際の話、 僕がいなくなっても 誰も困らない んですよ。
これって自虐でもなんでもなく、本当に。
極論で書くと、社会や生活を回していくうえで
「代りの利かない人間」
なんてものは存在していないと思います。
いなくなった瞬間は多少 混乱するかもしれませんが、数ヶ月、半年もあれば元通り生活はまわっていきます。
これは、「自分になんか価値がない」という自虐的な話では本当になくて
「自分に価値はあるけど、当然、代替えはきく」という。
ごく普通のことでして。
もちろん気持ち的なとこで、誰かと誰かの代替えはきかないし、
いなくなって誰も気にとめられなかったら悲しいし、
多少は悲しんでほしいなぁ…とかは思います。
感情的な話ではなくて
あくまで、これは社会的な意味で「代替えがきく」って意味です。
この「自分の代替えはきく」という当たり前の感覚をしっかりもって生きていく方が、結果的には幸せになれんじゃないかな?と、僕は思っております。
自分の価値っていうのは社会的にみて大したことないけど
それでも、君と一緒にいたいから一緒にいる
それでも、君が喜んでくれたら僕が楽しいから一緒に楽しいことをしたい
それでも、みんなで何かできたら楽しいから一緒に何かをしたい
みたいな
そんな素直で単純な動機で。
いちいち難しく、自分や自分の行為に対して意味付けをしないで。
そんなものをとっぱらったところで
素直に他人に対してぶつかった方が、結果的に意味も生まれてみんな幸せになれるんじゃないのかな?と。
「代替えの利く自分の価値で、他人に対してもっと図々しく生きる」
とでも言いましょうか。
こっちの方自分探しで自己完結するよりも、他人を巻き込んでるぶん確実にエゴイスティックですけどね。
でも、僕らはもっと図々しく生きてもいいのかもしれない。
他人に対して素直にぶつかる…って怖い。
でも、怖くても一歩踏み出さないとはじまらないし。
こんな小難しく考えないで、
自分の快感原則にしたがって
適当に楽しく生きてる人の方が、
きっと幸せ満足度は高いんでしょうね。
などと思います。
しかし、それが出来る人はきっとこのblogを読んでないと思うので(笑) 僕は不器用なあなたの味方です。
そもそも、いちいち探さないと見つけられないような”自分”なんか、クソくらえだし。
さみしさを埋めるために、無理して自分に価値を見出そうともがいてみるのも良いけど、
もっと素直に生きて、他人に対してぶつかった方が結果的に自分の価値があがるんじゃないのかな?
「無価値な人と、無価値な人があわさったら意味が生まれた」
の方が素敵やん?みたいな。
という、お話。
…ここまで理屈っぽく書いたのですが、めちゃくちゃ普通のことしか書いてないな(笑)。
これは普段 思ってることの自動手記、随筆みたいなもので許せ。
最初に書きたかった内容とは、ぜんぜん違う内容になってしまったのでまた何か書きたい気持ちはある。
あるんだけど、近いうちにこのblogの次回更新があるかは未定です。
など言ってるうちに明日は久しぶりの弾き語りソロライブです。
チケットのご予約、まだOKなので来れそうな方はぜひぜひご予約を
▼自分の宣伝▼
— 倉坂さん (@thedenkibran) July 26, 2023
8/12(土) 心斎橋 夜を灯して
「City Light, Twilight」〜Light 11〜
倉坂直樹(The denkibran)
ウエノタカユキ
芳仲悠人
あたぎ(Ms.PROTEIN)
Nori(Mlle.)
前¥2000D別 12:30~
倉坂最後の弾き語りライブと言うと大げさですがソロは当分ないと思う。チェキもあります
僕の出番14:45~ pic.twitter.com/xINuhTHepg
そして、10/20(金)に、大阪の南堀江knaveにて、久しぶりにThe denkibranでライブをします。手売りチケットもがんばって販売中なので、購入希望の方は気軽のお声がけください。
『恥ずかしながら帰ってまいりました。』
— 倉坂さん (@thedenkibran) August 2, 2023
を「恥ずかしながら誤字ってました。」
修正版のフライヤー画像です。
手売りチケットございます。
買ってくれたら笑顔になります。#denkibran1020 https://t.co/nYOO4RyyHr pic.twitter.com/CuQIAyQKmB
暑い日が続きますので、みなさま体調にはくれぐれもお気をつけください。
この写真は、最近マイブームのアイアンマンです。
この歳になって、こんなオモチャ買ったりするとは思ってなかった。
アイアンマンのフィギアをくれたら僕は泣いて喜びます。
ちなみに、今はハルクバスターが欲しいです。