6月8日(金)南堀江knaveでThe denkibranワンマンライブをします。
まさかの結成20年目にして初のワンマンライブです。
2018年6月8日(金)南堀江knave
The denkibran ワンマンライブ 1/20
OPEN19:00 / START 19:30
前¥2500/当日¥3000 (D代別¥600)
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さて。
だらだらと長くバンドをやってきて、意外!と言われるのですが、The denkibranはワンマンライブというものをやった事がありません。
なぜか?
答えはシンプル
人気がそんなにないから
…と、身もふたもない書き方をするとこの一言で終わってしまうのですが(笑)
そもそも、需要のないワンマンライブを無理やりやるほど、自分はワンマン公演というものに憧れがありませんでした。
それは今も変わらずなのですが。
僕にとっての”ロックバンド”や”ライブハウス”というのは、誰かとの出会いの場であり、コミニケーションの場です。
知らない人やバンドと出会えるのが嬉しい。
だから、共演者のいる対バンイベントが楽しいし、先日のMISOJI RIOTのようなサーキットイベントの方が出演者としては、圧倒的に好きです。
そんな、The denkibran もとい僕がなぜ、ワンマンライブなんてしようと思ったのか?そんな話を書いてみます。
たぶん長いよ。
バンドを続けている目的ってなんだろうか?
今、「なんでバンドをやっているの?」と聞かれたら、「好きだから」「楽しいから」と迷わず答えます。それ以上の理由は今の自分には必要ない。ただ、
でも、
若い頃はやっぱり違いました。
自分の才能を根拠なく信じてましたし、
これで「アイデンティティの証明!」みたいな気持ちもあったと思います。
恥ずかしくて口が裂けても言葉にはしなかったけど「音楽で何かを変えられるかも」とも思ってました。
「好きな女の子に振り向いてほしい」みたいな気持ちもあったかも。
もしかしたら、好きなものを共有できる仲間と一緒にいるための口実が「バンド」だったかもしれません。
もちろん、売れる気満々でバンドをやっていたし、メジャーデビューはもちろん、なんなら世界デビューしてやる!ぐらいの気持ちでバンドをやっていました。
そして、色々とありまして20年が過ぎました。
メジャーデビューなんて出来ませんでしたし、残念ながら人気もありません。
バンドをやってるからって、好きな子が振り向いてくれた記憶もありません。
アイデンティティなんて証明できなかったし、
バンドがなくても、辞めたメンバーともたまに電話したり仲良くできてます。
そう。
僕が若い頃、バンドをするための目的にしてた事なんて、20年たった今、何も残っていません。
よく言うのですが、同年代の人間に比べて僕が気持ちだけは若くいられるのは、普段から若いバンドと話をよくさせてもらってるからだと思ってます。
だけど、ライブハウスでライブ終了後に打ち上げと称して、ダラダラと夜中に話してる時、目の前にいるのは、実は若いバンドマンじゃなくて、いつかの自分だったりします。
だから、ずっと夜中中、僕はいつかの自分と話をしてます。
人気が出るバンドや、人気がすぐに出なくても少しずつ輝いていくバンドたちをたくさん見てきましたし、今も見続けてます。
そんな彼や彼女達に「おまえ、良い曲を作れるんだから、もっとがんばれよ!」と声をかけるのは、そのバンドの子に対してじゃなくて、
もしかしたら、
いつかの自分に向けて言ってるのかもしれません。
そんな風に信頼できる人に言ってもらって、一緒に自分の事のように悩んでもらいたかったんだろうな、あの時の自分は…などと思ったりもします。
そんな、がんばってるバンド達を身近で見させてもらって思い知りました。
つくづく、自分には才能がないのだなぁと。
それも「才能がない」という事実を、圧倒的に突きつけられるのではなく、
ジワジワと、蛇の生殺しのように20年かけて
「ああ…才能がないのだなぁ」という事実が毒みたいになって少しづつ、心にしみ込んでいく感じというか。
そんな、20年だったかもしれません。
でも、最近 気づいた事があります。
普通、死ぬんですよ。
20年も その才能の毒 にさらされてると。
だいたい長い人で、もって10年ぐらい。
何かしら音楽を続けてる人でも、バンドなんてとうに解体してしまい、ソロシンガーだったり、作曲家や編曲家になったり。
普通「才能がない」という毒にさらされてると、バンドなんて生き物はすぐに死んでしまうはずなんです。
普通は。
それが、なんと20年。
なんとかではあるけど、バンドという形態を維持して続いてるわけです。
これ、ふと「次で20周年か…」と思った時に気づいたのですが。
そもそも、僕らは デビューはおろか、インディーでの流通盤もなく、それこそワンマンライブもやってないし、
本当に何も成しえてないままで、ただ、本当に「ただ20年続いた」という事実が、ゴロンとそこに転がっているのに気づいた時に、ちょっと怖くなりました。
これって、普通じゃないよな!?と。
「え?これって実はすごい事じゃない!?」と。
普通、やめるよな。
やめないで、続けてきたというだけの事実。
その事実って、それ以上でもそれ以下でもないけど、それって実はとんでもない才能なんじゃないのか?と。
才能なんてないと思ってたけど、実は おれ、才能あったんだ!と、今さら気付いてしまいました。
だから、ただ続けただけのこの20年の節目に、何かやってみてもいいんじゃないのかな?と思ってしまったのです。
30年目…はさすがに自信ないからな(笑)やるなら今だ!ラストチャンスだ!みたいな。
この前、打ち上げで朝まで話をしてた時に、某氏が言ってた話で印象に残っている話があります。
例えば、「バンドをやる」というのが最初の目的
で、実際にバンドを結成できた
そうしたら、その「バンド」が「目的」から、「手段」に変わる…みたいな、お話でした。
さあ、君は、そのバンドという手段で何をやる?
って、問われるわけです。
これが遂、先日の話なのですが、ずっと印象に残っています。
バンドを20年続けてきたおかげで、目的はなくなっちゃったけど、僕の手持ちのカードには、手段の手札なら山ほどある…と気付けた夜でした。
唐突ですけど、若い子が大人にもってるイメージってどんな感じでしょうか?
僕は若い頃、人は歳を重ねれば、重ねるほど、大人になればなるほど、手持ちの武器が増えていくものだと思ってました。
ところが、逆でした。
大人というのは、武器をどんどん捨てていかなければいけない生き物でした。
若さという武器を捨てて、
夢という武器を捨てて、
信念という武器を捨てて、
情熱という武器を捨てて、
どんどん、手持ちの武器がなくなっていくんです。
大人は武器を持っていちゃいけないんです。
なんで武器を持っていてはいけないのか?
答えはシンプル。
武器が手元にあるって事は、その武器で闘わなくちゃいけなくなるから。
大人は闘っちゃいけないんです。
何もなかったように、やりすごさなくちゃいけないんです。きっと。
…なんて、熱い人に読まれたら怒られてしまいそうな事を書いてますが、これもきっと一つの真実。
ステレオタイプの大人像ってのも、今時、あってないようなものかもしれないけど。
そんな大人もたくさんいて、なんだか悲しいなあ…なんて思ってます。
さて、自分は?と手元を見てみると、けっきょく捨てられなかった武器が二つ。
ロックバンドとエレキギター
なんてガキっぽくて青臭い言葉でしょうか。
でも、20年間、少しづつ毒にさらされ続けても、捨てられなかったんだもの。
ずっと無意識に捨てるタイミングを見計らってたけど、けっきょく捨てられなかった最強の武器が二つ。
やっかいな事に、この武器を二つ持ってると、オプションで若さも夢も情熱もついてくる…っていう。
やっかい極まりない。
武器なんて持ってない素っ裸のつもりが、実は自分、けっこうな重装備でした。
それならば
それならば
闘わなくちゃね。
20年目にしてやっと見つけた自分の才能と、たくさんの手段のカードと、最強の武器を持って、
こんだけ理由をつけないと動けない自分を情けなくも思いつつ、20年目にして、少しだけ本気を出してみようかと思います。
いつか、大人になってしまう普通の君へ。
いつか、若かった普通の君へ。
そんな普通の君たちに、かっこいいとこを見せれるのは、普通の20年続けたバンドマンの僕らぐらいのもんでしょ。
かっこいい大人だって、ちゃんといるぜ。
大人も捨てたもんじゃないぜ。と。
6月8日(金) The denkibran ワンマンライブ よろしくお願いします。
長い文章を最後まで読んでくれてありがとう。