久しぶりにとりとめのない私信
素直に”おめでとう”も”やったー”も”悔しい”も言えない状況って、なんなんでしょうかね。周りの好き勝手な煽りも、もちろん気にはなるし。
そういえば、4~5年前ぐらいにも似たような状況ってあったな…とか思い出した。
まぁ、気持ちはわからんでもないけど、みんな好き勝手な事を言いやがって…というのが正直な感想ではある(笑)
シンプルに書くと「めんどうくせーな」と、一言。
基本的に誰だって「正義」というのは常に「我にあり」なんです。
歴史的に大虐殺犯にされてしまってるような彼だって、彼なりの正義がきっとあったんだと思います。
ただ、何かしらの結果が出て、彼の”その正義が間違っていた”という解釈が後々の世に残ってしまっただけで。
「勝てば官軍」なんて言葉がありますが、その彼が勝っていたら、きっと彼は英雄にでもなっていたんでしょうね。
僕らの正義なんて、残念ながらその程度のものなんでしょう。
だから、僕の正義はやっぱり僕の中にあるし、あの人にはあの人なりの、彼には彼の、彼女には彼女の、みんなの正義がそれぞれにある。
結局、どの人の正義が本当に正しいのか…っていうのは、後々にわかることであって、僕らはその時その時を愚直に、でもほんの少しだけ頭を使いながら考えて考えて、進んでいくしかないんですよね。きっと。
あと最近ちょっと思うんですけど、極端なんだと思う。
言い方を変えれば真面目なのかな?とも思う。
ある一つの意見があわないだけで、その人の全部を嫌いになる必要ってないんですよ。
そこの部分では意見があわないだけ。
1つ、2つの意見の相違だけで、その人の全人格を否定する必要はないし。
で、例えば僕が嫌いだからって、あなたも嫌いになる必要はないし。
逆に、あなたが嫌いだからって、僕は嫌いにはならないし。
もう少しだけ色んなことから自由でいたいですね。
もちろん僕も。
その気になれば空だって飛べるぜ。って、あれはあながち冗談ではないんです。
本当はもっと自由なはずだ。
なんでも良いんだけど最終的には、やりたいんなら、やるしかないんでしょう。
やめたいんなら、やめるしかないし。
やるんなら応援もしますし、出来る範囲で手助けもしますし、やらないんなら、残念ながらそこでさようなら。
いつまで続くのか?っていう不確定要素しかない中で、僕らはせっかくご縁があってめぐり合ったわけで。
ちょっと臭い言い方をすると、それって仲間ってやつなわけじゃないですか。
そういうのは大切にはして欲しいな・・・という気持ちはやっぱりある。
だけど、なんか変な”馴れ合い”みたいな感じにはなって欲しくないんですよね。
どんなに気をつけてても、外から見たら”内輪のり”には見えちゃうんだろうけど。
“内輪のり”は”シーン”みたいな都合の良い言葉に置き換えられがちなんだけど、どうもね。
やっぱり苦手。
寒い”内輪”にだけはならないように…そればっかりを気にしてきた、ここ10年ぐらいだったかもしれません。
その時はあんまりわかってもらえなくても後で見返したら、独立した”個”が、ただ、たまたまそのタイミングで一緒に交わって”集団”に見えてただけ…そんな風に見えるのが自分的には理想です。
みんなの事はもちろん大好きなんけど、ある部分ではドライに行きたい。
我々にはチームプレイなどという都合のいい言い訳は存在せん。 あるとすればスタンドプレイから生じるチームワークだけだ。
アニメ『攻殻機動隊』より
これ、本当に理想の言葉かもね。
最後に。
これまた引用で恐縮ですが、僕からあなた達へ送る言葉を。
宮沢賢治の「告別」という詩。
別にまだ別れるわけじゃないし、もうちょっと色々と一緒にやりたい人達ばかりですけど。
色々と事情も状況も立場も違うしね、それぞれがそれぞれのペースでがんばって欲しい。
見失わないでただ愚直に続ける事こそが一番の正義だと、僕はそれでも信じます。
おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管
とをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
宮沢賢治「告別」
自分で決めた限界に殺されてる場合ではない。