青春パンクの処方箋② THE BLUE HEARTS


青春パンクの処方箋①
「青春パンク」というジャンルがある。 この「青春パンク」という言葉 今では聞きなじんで、そんなにおかしな言葉には聞こえないと思う...

↑これの続き。本日は

「すべての若者に歌うロックバンドはTHE BLUE HEARTSであるべきだ(仮)」

です。



さてさて

前の記事でさんざん書いたのですが

THE BLUE HEARTSみたいな歌を歌っても、なんでTHE BLUE HEARTSみたいに響かないのか?

ってお話。

「そりゃ、アンタが甲本ヒロトじゃないからでしょ?」

と言われたらそのとおりなんで、ここでblogは終わっちゃうのですが(笑)。

そこはひとまず無視して続けます。



クラシックロックなんて言い方もありますが、

ある程度、時間がたった良質な作品って”クラシック”…

つまり”古典”になっていくと思うんです。



THE BLUE HEARTSを古典扱いとは何事か!?

と怒るファンの人もいるかもしれませんが

“古典”っていうのは”時代と世代を超えられた作品”って意味だと思うので、

古臭い作品だとか、懐メロとは全然、意味合いが違うと思うんですね。

音楽でいうなら、”スタンダードナンバー”みたいな言い方の方が正しいかもしれませんね。

時代を突き抜けたスタンダードな良さ…みたいな。





音楽に限らず、小説にしても絵画にしても

…なんでもそうだと思うのですが、”古典”というのは

“いつの時代に体験しても素晴らしいもの”

では絶対にあるのですが、

当時の流行や、時代背景、社会情勢がわからないと

「ん??これって、どういう意味なんだろう??」

と思ってしまう部分があるのも事実。



例えば、ビートルズがなんでリボルバー、サージェント~の時期であんなにサイケデリックになったの?

っていうのは、やっぱりベトナム戦争~ヒッピー文化~ドラックの流行…って流れを知ってないと意味がわらないと思うし



夏目漱石とか読んでても、

明治維新があって第一次世界大戦があって、近代~西洋化してた頃で…みたいな時代背景がわかってるのと、わかってないのとでは細かいとこの印象はかわると思うんですね。



というわけで、THE BLUE HEARTS が活躍した頃の時代背景を振り返ってみる。



THE BLUE HEARTSがデビューしたのは1987年

日本は、いわゆる”バブル景気”に突入。

世界情勢的には、アメリカvsソ連の冷戦最後の頃…か。

世界的にはちょっと社会情勢…雰囲気あやしくね?と不安になってたり

日本でもまだマルクス主義というか、社会主義の方が正しかったんじゃない?

という思想がギリギリ残ってる人もきっといてて

(ジブリの宮崎駿さんのこの頃のインタビューを読むと、けっこうマルクス主義が~みたいな話出てくるんですよね。昔に読んだときはピンとこなかったんですが、今だと「なるほど、そういう時代だったのか…」と思ったりする)

それでも大半の日本の大人たちはきっと好景気にうかれていたんだろう時代。

(専門で勉強してるわけではないので間違ってたらすまん)



要約すると

世界的にみると、ややこしいことも多かったけど

日本の大人は好景気でみんな金を持ってて浮かれていた時代

別の言い方をすると

日本にやっと生きていくのに必死にならなくていい時代がおとずれた

って感じでしょうか。



お金はある。

必死にならなくても、なんとなく生きていける。

大人はうかれてる。

さてさて、

そんな大人を見て育つ、若者はどうなるのでしょうか?

なんとなくこのまんま生きていけば、あんなお金持ちの大人にはなれるのかもしれない(後にバブルははじけるので、そもそもこれが幻想なのですが)

でも、それって正しいの?

それって、かっこわるくない?

生まれた時から、お金がある(生活が安定している)から、無駄なことを考える時間もある。

明確な答えはない。

でも、このまんまじゃダメなような気がする。

生きるための努力をしなくて良くなった若者たちの”自分探し”がはじまるわけです。

この誰かが敷いたレールの上をこのまんま走っていっていいのだろうか?…みたいな。

今の若者にも、近い感覚はもちろんあるとは思うのですが、

この頃って「大人と若者に断絶があったギリギリ最後の時代」だと思うんです。

時代背景もありきで「vs 大人」と言えた最後の世代というか。

いまの若い子って、けっこう親(大人)と仲良かったりするじゃないですか?

この辺りが、今の若者のと決定的に違うところなんじゃないかな?と思ってます。





その頃の若者たちがきっと持っていた

“お金はある、しかし心はなんだか満たされない”

“このままでいいのかな?”

みたいな気持ちや、漠然とした不安を

シンプルなロックンロールにのせて、言語化してくれたのがきっとブルーハーツだったんだと思うんですね。

「ドブネズミみたいに美しくなりたい」

あああ、けっして奇麗じゃないかもしれない。

でも僕らにはとんでもなくかっこよく、美しく見えるこの人たちは

きっと僕たちや私たちの気持ちの代弁者だ。

…そんな風に当時の若者は思ったんじゃないでしょうか。

まさにワーキングクラスのヒーロー。(日本に階級はないですが)



圧倒的な “時代の共感性” がたぶんあったんです。

たぶん…ですが(笑)。



長々と書いてきましたが、

THE BLUE HEARTS と同じことをそのまんま歌っても、

(特に初期メジャー2枚の感じだと)今の時代には響かないと思う。

いや、もちろん今の時代でも問答無用で貫ける、電光石火の言葉たちはいっぱいありますが。

だから今でもかっこいいんですが。



THE BLUE HEARTS みたいな歌をうたっても、

THE BLUE HEARTS に似れば似る程

僕には滑稽に映ってしまうと前の記事で書いたのはこのような理由からでありました。

圧倒的な、普遍的な良さはもちろんあるのですが

いまの時代の歌ではないんです。

そしていまの若者の心をつかめるのって、やっぱりいまの時代の歌だと思うんですね。



そして、残念ながら僕はもう若者ではないので

若者のリアルな気持ちってわからないんですよね。

ゆとり世代だ、さとり世代だ、そして Z世代…と、なんとなくは知ってるし

時代背景的なこともわかりますが、それってやっぱり40代の感覚で勉強して身に着けたものなので。

みんなで社会生活を営んでいる以上、根本的な部分の気持ちってもちろん一緒だとは思います。

好きな人に会えたら嬉しい。

好きな人に嫌われたら悲しい。

その気持ちはもちろんわかるのですが

物心ついた時から、ネットがあって、スマホを持ってて、SNSがあった世代の気持ちって、僕には本当の意味ではわからない。

何を不安に思い、

何をあきらめて、

何に期待して、

何を喜ぶのか。

そして、何と言ってほしいのか。

だから、いまの時代に生きる若者のアナタが、

THE BLUE HEARTSに似てない

いまの時代のTHE BLUE HEARTSみたいな歌

を歌ってるが聞けたら、僕はすごく嬉しいな

…などと思う。



予想以上に理屈っっぽくなったなぁ。

これ、最後まで読んでくれた人いるのかな…?(笑)。

最後まで読んでくれた人は僕に教えてください。

お礼を言います。



気が狂いそう。

優しい歌が好きです。



さてさて、The denkibranライブ もう1週間きってます。

チケットの前売り予約もお待ちしてますので!!

がんばって良いライブします。僕らは40代のブルーハーツを目指す。

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