YES

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【1】ジョンとヨーコのバラード

ジョンレノンとオノヨーコの出会いのエピソードが好きだ。

ジョンレノンが、とある前衛芸術家の個展を見に出かけた。

「天井の絵」という作品にジョンはいたく感銘を受けたらしい。

どういう作品かというと、天井にキャンバスが飾られており、そのキャンバスを用意されたハシゴをわざわざ登って見るという、なんとも前衛芸術家らしい作品。

そのキャンバスには肉眼では確認できないほどの小さな文字が一言だけ書かれていて、その小さな文字をまたわざわざ天井からつるされた虫眼鏡でのぞき込むのだという。

そののぞき込んだキャンバスになんと書かれていたか。

小さな文字で

「YES」

と一言。

ジョンいわく「NO」じゃなかったのが良かったらしい。

否定的な言葉ではなくて、肯定してくれる言葉「YES」だったのが彼の心をつかんで温かい気持ちにさせてくれたらしい。

とある前衛芸術家 オノヨーコ と、当時すでに超人気バンドのメンバーだったジョンレノンの出会いである。

ジョンとヨーコの邂逅。

つまりは、20世紀最大のバカップル誕生の瞬間である。

【2】ビートルズ

「ビートルズ?なんで何十年も前に解散したような古臭いバンドを持ち上げてるんだ!?気持ち悪い!」

そんな風にずっと思っていた板倉が、不覚にもビートルズにのめり込んでしまったのは高校を卒業する間近のことであった。

それなりに凝り性の板倉だったので、好きになってしまえばそこからは早かった。

そこから、彼の生活の大半はビートルズ研究についやされる事になる。

今、現役で活動しているバンドのファンの方にはピンとこないかもしれないが、

メンバーが存命しているとはいえビートルズのような過去のバンドを好きになるという事は、つまりビートルズという名前の考古学を授業で専攻したようなものである。

ビートルズという名前の遺跡発掘作業がその日からはじまってしまったわけで、板倉も彼らのすべてのアルバムを買いそろえ、色々な楽曲やメンバーにまつわるエピソードを調べ、新しい事実を知るたびに一人ほくそ笑む日々を過ごしていた。

そんな板倉だから、ジョンレノンとオノヨーコが出会った、”天井の絵のYES”というエピソードはもちろん知っていた。


【3】

友達のFが死んでしまったのは28歳の時だった。

板倉とFは高校の同級生で、20歳の頃は一緒に1年ぐらいバンドもやっていた。

バンド名は、お酒の名前から思い付きで拝借して「電気ブラン」と仮で名付けた。

ただ、そもそもFと板倉はただの飲み友達だった。

楽器もろくに演奏できなかった F と、中学の頃からギターを弾いていた板倉とで、まともなバンド活動などできるはずもなく、

F がなんとなくバンドメンバーからフェイドアウトして、板倉にとってただの飲み友達に戻ったのは自然な事だった。

バンドメンバーとしての関係がなくなっても、それなり頻繁に近況報告はしあってたし、

毎日会うような間柄ではなかったけど、月に一度、どちらからともなく言い出して、お酒を飲んでダラダラと過ごすような間柄だった。

Fも板倉も顔は広いほうだったけど、本音で話せる人間はある程度限られていた。

表向きな性格も違うし育ってきた環境も違うけど、根本的な素の性格はよく似ていた二人だった。

お互いがお互いのことを

“違う環境で育っていたら、もしかしたらこうなっていた自分”

みたいに思っていたし、そんな話もよく二人でした。

なんとなく、自分に重ねてお互いの事を見ていた。

臭い言葉で言うなら二人は親友だったのだと思う。

【4】The 27 Club

F は楽器もろくに演奏できなくてバンドもすぐにやめたくせに

「俺はきっと長生きできない。ロックスターだから27歳で死ぬ」

そんな事をよく言っていた。

そんな F の口癖を板倉は「はい、はい」といつも受け流していた。

1年遅れてしまったせいでThe 27 Club には入りそびれてしまったけど、 F は27歳の1年後、本当にロックスターになってしまった。

最後の半年、板倉はFに会いに行かなかった。

なんやかんや言ってても、ひょっこり元気な姿でまた自分の前に現れるような気がしていた。

ただ、それは叶う事はなかった。


【5】生き残ってしまった

F の死というのは板倉にとって”モラトリアムの終わり”を意味していた。

なんとなく続いている世界の終わりが唐突にやってきたような感覚。

もう一人の自分の世界が唐突に終わってしまったのに、もう一人の自分の世界は続いていくという不思議な違和感。

はじめての身近な人間の死は、やはり板倉にはとって思うところがあった。

“負い目”というと、大げさかもしれない。

板倉は楽観的に考える方なので、今まで”死にたい”なんて思ったことは一度もなかったけど

ただ「もしかしたら、終わっていたのは F ではなく自分でも良かったんじゃないのか?」という違和感。

漠然と板倉に残った違和感をあえて言葉にするのなら

「生き残ってしまった」

という一言が一番近かったかもしれない。

【6】モラトリアムモラトリアム

妙な言い回しになってしまうが、モラトリアムを終わらせるためのモラトリアムがはじまった。

色々なことが急にクリアに、そしてリアルになった。

ゆるく続いていくと思っていた世界が、明日にでも急に終わってしまう可能性もある…という、当たり前のこと。

板倉はそんな当たり前を知ってはいたけど、きっとその時まで本当の意味でわかっていなかったのだと思う。

だましだまし生きてきた 28歳という年齢が急にリアルになった。

生き残ってしまった自分は、これからどうすれば良いのだろうか。

「生き残ってしまった」という漠然とした感覚を持ったまま、

答えはなんとなく保留のままで、そこから引き続き日常は流れていく。

モラトリアムのモラトリアムは続く。


【7】ジョンとヨーコのバラードふたたび

ジョンレノンの未発表音源集のライナーノーツだったかもしれないし、雑誌の特集だったかもしれない。

オノヨーコさんのジョンに対する思いをつづった文章をある日、何気に板倉は読んでいた。

そもそも、オノヨーコという人は特に海外のビートルズファンからはよく思われてない節がある。

「ビートルズ解散の原因は、この東洋の怪しい芸術家きどりの女がジョンをたぶらかしたからだ」

そんな風に思われていたらしい。

板倉もなんとなくオノヨーコに対してあまり良い感情はなかった。

オノヨーコさんの発言や行動、作品というのは、板倉にとって理解できる部分と理解できない部分のふり幅が大きすぎた。

ただ、その日に板倉が読んだヨーコさんの文章というのは、すごく理解できるものだった。

「ジョンがこの世からいなくなって、みなさんが悲しいように、私も最愛の人がこの世からいなくなってとても悲しいのです」

詳しい文章までは覚えていなけど、こんなような内容だったと思う。

“大好きだった人が死んでしまってとても悲しい”

エキセントリックなイメージの彼女からはあまり想像ができない普通の言葉だったけど、それは板倉にとって今までふれてきたオノヨーコさんの発言のなかで一番ピンときた言葉だった。

“大好きだった人が死んでしまってとても悲しい”

それは板倉にとって、答えを一時保留にして放置していた思いのピースが、漠然と重なりだした瞬間でもあった。

「そうか、僕はただ大好きな人が死んでしまって悲しかったんだ」

そんな普通のことに板倉が気づけたのは、Fと会えなくなって半年以上たった後だった。

【8】動きだす僕の世界

生き残ってしまった自分をさげすむことなく、

あなたを言い訳にはせずに、

何からはじめたらいいのかはわからないけれど、

“NO”ではなくて、”YES”と笑いながら。

なんとなく作りかけで放置していた曲の歌詞が、さらっと出来上がった。

それは、F も好きだとよく言ってくれた、いつもどおりの午後のうたによく似ていた。

【9】

12年たっても不思議なもので、今でも君の声は鮮明に覚えている。


【10】YES

言葉だけじゃ足りなくて
気持ちだけじゃ重すぎて
伝えるのはあきらめて
ふさぎこんだふりしてる
こんなはずじゃないと笑う
文字化けした僕らの夢じゃ
届かなくて届かなくて

息をして暮らすだけの
安っぽい生き物が
他人事みたいだって
うす目あけてながめてる
生活の句読点で
色をつけた僕らの日々が
動きだした動きだした

風のにおい 君の声 風景の色
いつまでもきっと変わらない
くりかえすハローグッバイ

明日、世界が終わっても
YESと君が笑うなら
どうにだってなると思った
変わらない午後のうた

言葉だけじゃ足りなくて
気持ちだけじゃ重すぎて
何も言えず遠ざかる
足音だけ聞いていた

僕に何ができるだろう?
あなたを言い訳にはせずに
歩き出した 歩き出した

明日、世界が終わっても
YESと君が笑うから
モノクロの日々に色をつけて

今日、世界のすみっこで
ずっと待ちわびた合図で
モノクロの日々が色づき
動き出す僕の世界

忘れない君のこと

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