手を握ることと、SEXすることと、付き合うことと、会うことと、話をすること。

ある日の会話

「手も握ったことのない女の子に、こんなに入れ込んで何をやってるんだろうね~」

みたいな話のなかで、某氏が

「いや、”手を握る”って、”SEXする”よりむずかしくないですか!?」

と言った。

そのココロを聞いて、妙に納得した。

SEXの場合は、お酒の雰囲気だったり、その場の雰囲気だったりに流されて行われることはある。お互いの合意も「なんとなく」で行われる場合がある。

要は「流されて発生する行為」の場合もある。

でも「手を握る」というのは、お互いに明確な意志があって、手を握り合うわけで、そっちの方が男女間の行為としては難易度が高い

…的なことを言ってた気がします。

その話、全部に納得したわけではないのですが

「確かに。それも一理ある。そうか、手をつなぐ というのは高望みなのか」

と、妙に納得しました。

と同時に、

ああ、そういえば 手をつなぎたい とか人生であんまり思ったことないな

…とも思った。(理由は、恥ずかしいから)



別の日の別の人との会話。

「付き合いたいとかじゃなくて、ただ会いたいだけ」みたいな発言に対して、某氏の見解は以下。

「いや、付き合うのも、会うのも、一緒じゃない?どっちも難しい」

え?

そうなの?

あ…でも、たしかに、そう言われたらそうなのかもしれない。

「お付き合いする」ことが高望みで、「会う」ことが気軽な望みか?

って聞かれたら、別にそうでもないな。

と、それを聞いて思った。

なるほど。

どっちも高望みなんですね。



生きてるだけで、すべては高望みなのか。

そうなのか。

望むことすら、おこがましいのか。



自分からは絶対にでてこないような人の発想や意見は、聞いてて楽しい。

楽しい。

楽しいが、しかし。

うん。



ドラゴンボールが7つそろって、神龍がひとつだけ願いを叶えてくれるんなら僕は

「ゆっくりお話しがしたい」

という、高望みを叶えてもらおうと思います。

なんか、話す時間も思ったようにゆっくりとれないって、大人は大変なんだな…と、大人になってはじめて思った。



本音を言えば、僕はきっと君と話がしたい。

体より髪よりも、ほら、心に触れていたい。

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