あの人が嫌い。②

嫌われたら悲しいけど、まあ、しかたないっすよねー

あの人が嫌い。①
「好き」の話は、このblogでも何回か書いた記憶があるけど 「嫌い」の話はあんまり書いたことがないなぁ…などと思い、書いてみる。 ...

という話を書いた前回のblog



前回は僕が”嫌われてる”ほうの話を書いたので

今回は僕が”嫌い”な方の話を書いてみます。

こっちが書きたかったこと。

前回は前振りです。



さてさて。



なんか”良い人キャラ”みたいに、誤解を受けがちな僕なんですが

本当に残念ながら

嫌いな人がいっぱいいます(笑)。

けっこういてます。

性格悪いもんで…。

すんません。



“嫌いな人ばかり増えてくけど
普通の毎日も悪くないよ”

なんて自分の歌でも歌ってますし(笑)




…と、そんなふうに最近まで思ってたのですが

「本気で嫌いな人」

って意外に少ないのかもしれないな

などと最近気づきました。



自分と考え方が違う

自分と生き方が違う



というのは、実はあんまり嫌いになる理由には僕的にはならなかったりする。

そんなもんで いちいち人のことを嫌いになってたら、

周りの人のこと全員嫌いにってしまうし(笑)

そんな生き方は、さすがにさみしい。



で、自分的に整理してみたのですが

自分が「嫌い」と思ってた感情って、

これ、実は「嫉妬」なんじゃないかな?と、最近思うことが多い。

なるほど。

嫌いなんじゃなくて、実は うらやましかった だけなのかな?と。

例えば、人間関係で

人にズカスカ踏み込んでいく人って

僕はすごく苦手で

「デリカシーがないなぁ、この人、嫌い!!」

とか今までは思ってました。

でも本当はそうじゃなくて

「そんな風に自分は出来ないから、

その人の事を、心のどこかでうらやましい」

と思ってるだけなのかな?と。

思い返せば、そんなんばかり。

「あれは筋が通ってないから嫌!嫌い!」

とか、もっともらしい事を言ってたけど

けっきょく腹の奥そこでは

「オレは上手く出来ないのに、お前は上手くやりやがって…!!」

みたいに思ってるのなら、これただの嫉妬やん? と。

僕が今まで嫌いと思ってた人に対しての感情の

8割ぐらいは、これで説明つくな…と。

自分の小ささに気付く、2023年の夏の日でした。



「妬み嫉み」の類の感情は

やっぱり自分の目をにごらす。

ろくなことない

…なんて改めて思う昨今。



ただ、他人にまったく嫉妬せずに生きていける程の

聖人君子ではもちろんないし。

どう嫉妬心と付き合っていくのか!?

って話なので、むずかしい。

そもそも、僕は別に聖人君子になりたいわけでもない。

聖人君子になっちゃったら、それはそれで面白くなさそうだし(笑)。

という出口のないお話でした。



とは言え、日常で

「くそー!!こいつ、嫌いやわ!!」

なんて思ってた自分の気持ちの八割ぐらいが

実はただの「嫉妬」か

と自己解決できたら、ちょっとだけイライラする気持ちもマシになるのかな?

…なったらいいな。

いや、ならないか。

余計、イライラするか(笑)。

っていう。



「自分の嫉妬」と、うまく付き合いながら生きてく

…っていうのは、実は一番むずかしい気もしますが。



こんなことを書いてると

けっきょく一番 誰が嫌い?って

いちいち

小さいことにも嫉妬してる自分のことが嫌いなんじゃないの?

って結論になってしまいそうですが。

そんなことはない。

自分のことは、そこまで嫌いではない。

めちゃくちゃ好きでもないけど。

少なくても嫌いではない。



結論は出ないのですが

こういうことをメモがてらに記していると

意外に考えがまとまって

考えが次のフェーズにいけたりする時もある。

そんな自己満足のメモがわりな記事でした。

そして、こんなぼやきが誰かの”気づきのキッカケ”にでもなったら嬉しいなぁ…などと図々しいく思う。



そして

「嫌い」「嫌われてる」って感情や状況に対しては

藁人形で呪うかのごとく、SNSに書き連ねたり

復讐を考えるよりも

“関わらない”っていう対処が一番適切なんだろうな

…なんてのは、ようやく ここ数年で学んだ気はします。

「人に関わらないようにする」って結論はちょっとさみしいですけどね。

すべてのことに対して

無理やり解決しようとしたり
無理やり結論を出す必要もないんだろうな。と。

宙ぶらりんの色んなものを抱えながら

そんななかで大切にしたいものだけを大切にして生きてくしかないのかね?

などと、偉そうに思う。

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