今日は才能の話。
「天才」だとか「才能」だとか、まあ、実態があるようでないような
実に、おぼろげな言葉。
そもそも僕は「才能」というモノのは、センスというモノの集合体だと思ってます。
色んな才能の形がある。
この色んな才能の話は、また機会がれば書くとして。
今日、書きたいのは「何を持って”才能がある”と判断しているのか?」という話。
人を見て「この人は才能があるな~」って思う時
ああ、自分には才能がないなぁ~って、自分に思う時(オレはよく思う)
人間は、どういう判断基準で”才能がある”とジャッジしているか?
僕が思うに。
スピード感で判断してる
人が多い気がするんです。「早く結果を出せる」=「才能がある」
これ、間違ってない気はするし、現代で社会生活をおくるうえで”スピード感”ってすごく重要な要素だともちろん思うんですけど
これだけで判断してると、大切なことを見落としちゃう時もある。
例えば、
十代で歌がめちゃくちゃうまくて曲もかけるような子供を、才能ある「神童」とあがめたり
誰とでもすぐに仲良くなれる人を「人付き合いの才能がある」と評価したり
曲を作るぞ!と思って、1時間もかけずに名曲を作れるちゃう人を「作曲の才能がある」と評価したり (たまに自分、天才!と僕が思う時は、たしかにパッと曲が作れた時だったりする)
全部、これ実はスピード感の話なんですよね。
実は、才能とは別の話なんじゃないかな?と、よく思います。
みんなが憧れて、噂したり、評価してるのって、才能じゃなくてスピード感の話。
初代のThe denkibranのドラムの小松(兄)くんは、むずかしい理論的な知識は、
ほぼない人だったけど、リズムに関してはすごくセンスのある人でした。
僕から見ても、リズムに関して才能のある人。
瞬間で判断してリズムに対してジャッジできる人。
リズムに対して反射神経がすごかったんですよね。
これも、よくよく思い返せば、スピード感の話。
ゆっくりと熟成していく人もいるし
ゆっくりと深く、人と仲良くなれる人もいるし
ゆっくりと丁寧に名曲を生み出す人もいるし
そういう人の才能は評価されずらい世の中なんだろうな…と、よく思う。
世にあふれているものは「では、スピード感をあげるためには、どうしたらいいのか?」っていうソメッドばかりで、実際、それはすごく勉強にはなるんだけど。
社会人としては、絶対にスピード感というのは必要な要素なんですけど。
それだけじゃない気もするんだけどな~…と、なかば負け惜しみのように思う毎日です。
この歳になって、けっきょく自分にはなんの才能があったんだろうか?と、自己分析してみるんですけど
自分に残った才能と呼べそうなモノのは、”あきらめが悪い”ことぐらいでした。
スピード感とは対極。
だから、僕はきっと天才なんだけど、他人さまから評価されることがないんですね。
他人に評価されて、はじめて人は天才になれるので、僕が天才になることは一生涯ない。
おそまつ。
4月3日(土) 南堀江knave
The denkibranのライブがあります
w/チセツナガラ、青い紫陽花
Gt 安藤のラスト3本ライブのうちの1本です。
お見逃しなく!ご予約もまだまだお待ちしております。
最近、家に帰っての深夜タイムは
作りっぱなしの曲を仕上げないとな~と思い、
ずっと録音作業をしています。
そういうことをしだすと、全然、blogとか書かなくなりますね。
去年末にポンポン上げてたような、メモ程度のデモ録音なら、blogと平行して余裕でできるんですけど、作品として仕上げようと思うとやっぱり集中してやらないとダメだったりで。
久しぶりに自分の歌の下手さと向き合いつつも
「なるほど、こう歌ったらいいのか」という発見もいっぱいです。
この歳になっても、たぶんまだ上手くなれる…って、素敵。