NOと言える関係性の大切さ。

人に「否定される」のはすごく怖い。

人間だもの。

おじさんになったって人間なんです。

平気なふりしてても、NO とつきつけられると実はそれなりに凹む。

特に一生懸命やっていることに対して、否定なんてされると死にたくなる。(絶対に死なないけど)



だけど、大人になるとそんなことでいちいち傷ついてられない。

そんなわけで、それを回避するために色々な技を覚える。

自分のダメージを最小限に抑えるための技。



マジメにやってないフリをしてヘラヘラしてみたり、

「つまらないものですが」と最初に自分でそれの価値を下げてみたり、



つまり、ヘラヘラと予防線をはりながら生きていくようになる。

ただ、ヘラヘラしているとね

どんどん自分が消えていくような気もする。

そもそも自分に価値があるのかどうかも怪しいもんなんですが、

どんどん無価値な代えのきく人間になってしまうような…そんな気にもなる。

(でも、ヘラヘラしてる自分は実は好きだったりするのですが、それはまた別の話で)



でもね、

否定できない/否定されない関係性

っていうのもすごく不健康だよなぁ…などと、最近よく思う。



例えば、どんなに相手のことが好きだったとしても

「それ、違うんじゃない?」と気軽に言える関係性。

逆に、気軽に言ってもらえる関係性。

それがないと、YESマン同士になって関係性がとんでもなく歪になっていくわけで。

思いかえすと、

けっこう前、母親とちょっと関係が悪かった時。

何か言うとすぐにヒステリーを起こしちゃうから、ひたすら僕がYESマンになってたこともあったり。

過去の恋人やバンドのメンバーとの関係性でも思い当たる節はある。

思いかえすと、どれもあんまり健康的ではなかったなぁ。



自分がされたら嫌なことって、相手も嫌なことだよなぁ…なんて思ってしまい、変に気を使って言い出せなくなるわけですが

いや、違うぞ。

好きな人に NOと言われて、いちいち嫌な気持ちになることってそもそもないか。

もちろん人間なんで、反射的にむっとしちゃうこともあるだろうけど。

それでも、別に人間性を否定されてるわけでもないしね。

むしろ、

あ、なるほど。そういう考え方もあるね、ありがとう。

て感じか。

そう考えたら、気軽に、NO と言ってもらえない関係性の方が圧倒的に嫌なわけで。



今でも仲良くしてもらってる人って、

年上、年下問わず、気軽に NO って言える関係性の人ばかりだし、やっぱりそういう人が残っていくのかね。

いやー、倉坂さん、ないっすわ。ダサいっす!!

みたいに言ってくれる人。



基本的に、相手の考えてることや、やる事は否定したくないし、なるべく

YES

と言いたいと思って自分は生きてはいるのですが、

それでも「あれ?」って思った時に

気軽に、NO と言ってみたり、

NO と言ってもらえる関係性って本当に大事なんだろうなと、ふと思いました。



自分で言うのもあれだけど、意外に聞く耳は持ってるほうだと思う。

きちんと説明してもらえたら、すぐに NO を受け入れるほうではあると思う。

僕もたまにはNOと言うようにしますので

傷つかなさそうな範囲で、気軽にダメだしお待ちしています。



いや、傷ついたり、傷つけたりするのを過度に恐れるな!って話か。

書いたり、言うのは簡単。

なかなか難しいもんですね。



今、付き合いがあって仲良くしてもらってる人って、

出来るなら死ぬまでなんらかの関わりを持って仲良くしてもらいたい人ばっかりで

たまに間違うこともあるけど

健全な関係性でいたいもんです。

今後ともよろしくお願いします。


スポンサーリンク

オ客ハ読ムナ。

今月からミュージックラビッツさんという音楽サイトで連載コラムを書かせてもらってます。

バンドマン向けのなんちゃって自己啓発/マーケティング論みたいな内容になっているので、お客さんが読んであまり気持ちの良い内容ではないかもしれませんが。

良かったらこちらも読んでみてください。







スポンサーリンク