実は、ぼくには特殊能力がある。
ここだけの話。
内緒だぜ。
人の自己顕示欲が見える。
信じるも信じないも君しだい、ほんとのことなんだ。
不思議な力さ。
見えるという言い方は適当でないかもしれない。
感じる。
という言葉の方が適当かもしれないけど
「自己顕示欲を感じる」
なんて書き方をする方が、さらに圧倒的にうさんくさい気もする。
“音に色を感じる”
“文字に色を感じる”
“形に味を感じる”
という、共感覚ってやつもあるらしいですが、残念ながらそんな天才じみた能力ではない。
ぼくと同じように、他人の顔色をうかがいながら生きてきた小心者のみなさんなら、もしかしたらこの感覚をわかってもらえるかもしれない。
まわりの空気を読んで生きてきた人は、その場の空気感を読むのが異常にうまくなってしまう。
小さいころ、一人っ子で大人のなかで暮らしてきた自分もしかり。
あの能力の上位互換みたいなもんです。
何よりも、隠してるだけで自己顕示欲が強い自分のミラーリング能力みたいなもんだとも思ってます。
何を気持ち悪いことを言ってるの?と、思われましたか。
だから、信じるも信じないもあなたの自由。
たまに他人の”自己顕示欲にあてられる”ことがある。
「あてられる」。
「悪酔い」ではない。
「あてられる」が一番言いえてる気がする。
自己顕示欲にもいろいろあって、ぼくにとって
好きな感じの自己顕示欲と
苦手なタイプの自己顕示欲がある。
苦手なタイプの強烈な自己顕示欲を不意にくらうと、あてられてしまう。
若いころは、そんな苦手なたぐいの自己顕示欲に対して
「あいつは気持ち悪い」だとか「ダサイ」と、それを敵視することで乗り切ってきました。
しかし、どうやらその手のぼくが”苦手な類の自己顕示欲”にも一定数の需要があるらしい。
むしろ、それを受け入れていない自分の方が少数派らしい。
大人になってそんなことに気づくと、子供の頃みたいにそれを敵対視することにも躊躇するようになる。
敵視できないけど、無視もできない。
なぜなら、ぼくにとってそれは無視できないほど、とんでもなく気持ち悪いものだから。
だから、そんな自己顕示欲に対じした時
それを
見てても
聞いてても
読んでても
感じてても
ねっとりと、気持ち悪くなる。
そんなヤツにさわられた日には、反射的に手が出てしまいそうになる。
その気持ち悪さってのは例えば、
虫とかのちょっとグロい、気持ち悪い画像でも見せられてるような時の気持ち悪さに近いかもしれない。
…と、こんなことを書いて、誰かの理解を求めてるわけではないのですが。
面倒くさいことを言ってるなとも思うし、中二感がすごいなとも思う。
信じるも信じないも君しだい。
2~3ヶ月前に哲学史みたいな本をよく読んでいたせいか、目に見える、感じるすべてのことに対してなんだか懐疑的になってしまってる。
若いころに封印したつもりの、ひねくれものスイッチがまたONになってしまったかもしれない。
それじゃ、生きづらい。
けど、仕方ない。
懐疑的になってきたら、この他人の”自己顕示欲にあてられる”現象がまたよくおきるようになった。
それもヒネクレモノの宿命か。
しかたない。
だけど、そんなヒネクレモノでもね、自分で音を出してる時は素直に楽しめたりするんですよね。
不思議なもんです。
だから、ロックバンドは偉大。
聞くのも、踊るのも、見るのも、イベント組むのも楽しいけど、
やっぱりバンドは自分でやるのが一番たのしいぜ。
これまた信じるも信じないも君しだい。
今日は、新メンバー編成で初スタジオ練習。
ちょっとさみしくて、すごく楽しみ。
なんとなく、ここ1年ぐらいの振り返りもこめて読んだ本も紹介。
↓おすすめに出てきたので、だまされたと思って読んでみたら、すごくわかりやすくて面白かった一冊。普段のぼくならこの表紙だけでスルーしてたと思うので読んでみてよかった。哲学史の入門にはバッチリかと。この作者さんの本はどれも読みやすいし面白い。
↓今の哲学者さん、マルクスガブリエルの本。TVでこの人の特番をやってるのを見て、なんとなく好きになりました。「世界は存在しない」という言い切り方の中二感は嫌いじゃないです。新実在論。
↓もしかしたら原作のナウシカをじっくりと読む方が哲学かも…と久しぶりに読み返して思った。映画しか見たことない人はだまされたと思って漫画も読んでみて。情報量かなり多いですが。連載期間の世の中の流れを考えながら読むと、マルクス主義の敗北、ポスト冷戦後~をへて、その当時の作者の気持ちの移り変わりとか…考えることがマジで多い。
↓あわせてこちらも。大学の論文やん!ってぐらい情報量多くてややこしかったですが、面白かった。
…って紹介したい本がもっとあったんだけど忘れた。そのあたりは、また機会がございましたら。