4月5日のおわりぎわに、なんとなく
あー、今日はカート・コバーンの命日だったんだな
と、気づいた。
で、なぜかNIRVANAを聞かずに、椎名林檎さんを聴いてました。
10代にしか書けない歌詞だし自分も20歳頃に聴いてたんで、
久しぶりに聞くとなんかヒリヒリした。
「だってカートみたいだから、あたしがコートニーじゃない?」
なんて、映画のセリフならいいけど、未来のないカップルに自分を例えて、自分に酔うことなんてもうできないし、正直したくもない。
未来は見ないで、今だけでいいの…って感覚は、
昔は持ってたけどきっと自分はもうなくしちゃった感覚。
「未来など見ないで、確信できる現在だけ重ねて」
とも、別の曲で歌ってますし。
なんか、当時の今でいう「メンヘラガール」達に愛されてた理由はあらためてわかった気はする。
ちなみに自分は、いまは年齢も年齢なので、過去も大事にしたいし、限りあるから未来も大事にしたい。
でも、こういうのって やっぱり十代の頃は自分も持っていた感覚だから、古傷がうずくみたいな
一瞬、若い頃にタイムスリップしちゃうような
そんな切なさはある。
なんか、具体的に何があったわけでもないけど、異様に切ない夜
みたいな。
物語や曲に、メンタルを引っ張られやすいタチではあると思います。
(そんな流れで、勝訴ストリップを久しぶりに聞き返したけど、こんな歪みまくってて、コンプバキバキのマニアックな音像で250万枚売れてるってすごいな…とも思った)
何かで読んだ話で記憶が曖昧なのですが
もしかしたら間違ってる話かもしれませんが
過去、現在、未来 とあって、
「現在」の存在というのは、科学的に証明されていない
らしい。
たぶん、けっこう古い本だったので、今はもう証明されてるかもしれませんが。
過去と未来に比べて、現在というのは、存在そのものが一瞬すぎるんです。
莫大な長さの過去と
永遠に続くであろう未来
に比べると、現在というのは一瞬すぎる。
現在っていうのは、どこにあるの?
「はい!今は現在!」
って言った瞬間に、それはもう数秒前の過去になっているわけで。
現在を証明できない。
なるほど。
そう、考えると
もしかしたら、現在なんて存在しないのかもしれない。
みたいな。
これを読んだ時に、うわーすげー!面白い!と、思ったのを覚えています。
今を後悔しないように全力でがんばる!
というスタンスは好感は持てるし、僕もそうありたいと日々思っていますが、
自分の考え方的にはピンとこないところもありまして。
例えば、ライブにしても「今日、死ぬ気で先のことは考えずにやる!」って。
ぜんぜん良いと思うし、気持ち的にはきっとそうあるべきなんだけど。
今日のライブで全力だして死んじゃったとして
例えば、ツアーでまわる二日後のライブを楽しみにしてくれているお客さんのことはどうでもいいの?
また会おうね!とか約束してた人のことはどうでもいいの?
とか、そんな風には思ってしまう。
本当にしっかりやる、しっかり生きるっていうのは
過去にも責任を持つことだと思うし、
先の未来にも責任を持つことだと思うし
その二つがない状態で、現在をしっかり生きる!とか言われても、なんか逃げてるだけに聞こえちゃうぐらいには、僕も歳をとったようです。
いや、年齢関係ないな。
若い頃からそう思ってた。
これってイコールで、周りの人の未来にも責任を持つってことだと思うし
人間なんて本当は孤独だろうし
本当の意味では誰ともわかりあえないんだろうけど
わかりあえないことを、わかりあえてるだけで、案外、僕らは笑って仲良くなれる気がする。
いや、なれたらいいな…という希望的観測。
関わりあう人達のそれぞれの未来と、自分の未来に少しだけ責任を持って生きていけたらいいな…という、とりとめのない話でした。
過去と未来に責任をもてない人間には、現在を証明することなんて一生できなんですよ。
死ぬまでに、僕も一回ぐらい現在を証明できるようになりたいもんです。
こういうことは言ったり、書くだけなら誰にでもできるんですけどね。
自分もそう生きていけたらいいなってお話。
なかなか、できてないですが。
…で、カート・コバーンも椎名林檎の話はどこいった?
僕の文章や考えてることなんて、とりとめのない連想ゲームみたいなもんなんで、ゆるしてくれ。