敬語オワコン説 



何気にこの質問が面白いなと思ったので、blogを書いてみます。

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まず一つ、偏った仮説を立てて進めます

タイトルのとおり「敬語オワコン説」

あと20年もしたら、日本の一般会話から敬語なんて、なくなっちゃうんじゃないか?という極端な仮説。

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日本語とは心遣い

日本語は美しい。

そんな美しい日本語の使い方のひとつ「敬語」。

普段、ニュアンスで僕らが使ってる、その敬語ですが、分類してくと

尊敬語と呼ばれる言葉使いと
謙譲語と呼ばれる言葉使い

に分類されたり、厳密に使い分けるのがなかなか難しかったりしますよね。

ただ、尊敬語も謙譲語も自分より目上の人に対して「失礼のない言葉使い」をしよう ってことだと思うんですね。

つまり、「敬語」っていうのは基本的に「相手に対する心遣い」だと思います。


この質問者さんの意図するところっていうのは、つまり

自分が尊敬してる人間に対して、おまえもちゃんと尊敬(心遣い)しろよ!

っていう事だと思います。

これ、すごくわかる。

僕は人見知り属性の人間なので超わかる。

いますよね、距離感が近くて、やたら馴れ馴れしいヤツ。

僕も基本的にATフィールドが分厚い人間なので、初対面で半径1m以内に無神経に侵入されたら殴り倒してやりたくなります。


だから初対面から人に対して慣れ慣れしいヤツをみると、「ちゃんとしろよ!」と、イライラしてしまう時がある。

僕の場合は初対面の人には、明らかに自分より歳下とわかる人でも、なるべく敬語を使うように心がけてます。

これは、大人の対応…だとか、そんな話じゃなくて、自分が初対面の人間に馴れ馴れしくされるとイラっとするから。

「自分がされて嫌な事は、人にはしない」

というシンプルな理由からだけです。

でも実はうらやましい

ただ、僕は
  • 初対面の人に対して慣れ慣れしく出来る人間
  • いきなり敬語をすっ飛ばしてタメ口で仲良くできる人間
の事を嫌いな反面、

すごくうらやましくも思ってます。

なぜ、うらやましいか?

どうがんばっても自分にはできないからなんです。

僕からしたら、いきなりタメ口で相手との距離感をつめられるのって、もう特殊能力なんですよ。

僕にはそんな特殊能力はない。

敬語オワコン説

で、仮説に戻ります。

これから、敬語はどんどんなくなっていくと思ってます。

なくならいにしても、敬語の形は原型をとどめずに変わってくと思います。

敬語はオワコン

ああ…こんなこと書いたら、良識ある大人から怒られそう。

先にあやまっとく。

極端な事を書いて、ごめんなさい。

そもそも、質問者が「〇〇っす!」ぐらいでも敬語を使ってほしい

と書かれてますが、「〇〇っす!」は、尊敬語でも謙譲語でもないし、厳密に言うとすでに敬語ではありません(笑)

いや、わかってますよ。

そんな堅苦しい話じゃないくて「先輩に対して心遣いをしてほしい」って意味なのは。

10代~20代の人間関係なら、「〇〇っす」も敬語かもしれません。

ただ、これが仮に50代の昔かたぎな先輩に対して「〇〇っす!」みたいな話し方をしようもんなら

「敬語もまともに使えんのか!」と、逆に怒られる気がします。

(質問者さんを10代後半~20代前半の方と仮定して話を進めてます)

つまり、言葉というのは世代間でニュアンスが変わるし、もっといえば時代ととも変わっていくものなんです。

もちろん、昔からある”美しい日本語の型”というのもは常にあると思います。

ただあくまですでにそれは”型”なんですね。

例えば「ら抜き」をいちいち訂正していたら会話が進まないので、わかっててもそこに対して僕はいちいちツッコミません。

例)

Aさん「この前のラーメン食べれましたか?」
倉坂 「うん。えっと…正しくは”食べれましたか?”ね」
Aさん「?」

こんなやり取りをしていたら、若い子と会話がすすまない(笑)

意味わかるし、別にいいじゃん!という考えかた。

ゆくゆくは、敬語も似たような事になっていくんじゃないかな?と思ってます。

僕は、回りっくどい、ニュアンスで伝える日本語のワビサビ感は好きなので、この流れは悲しくはありますが、これは時代の流れなんで仕方ないんじゃないかな。

意味が伝わればいいんじゃないの?って、大雑把なものに言葉もどんどんなていくような気がする。

長ったらしく書きましたが、そういう流れもふまえてで、

答えとしては

「先輩が気にしてないなら、放っておくしかない」

と思います。

ここからが実は一番伝えたいところ

ここから「質問者さんの気を悪くしてしまったら、ごめんなさい」な事を書きます。

他人に対して

「一般的にはこうだから、〇〇しなければいけない」という考えは、

「自分はこうしてるから、あなたも〇〇しなければいけない」

という考えと、すり替わってしまう事がよくあります。

これは別の角度から見ると、つまり他人に自分の価値観を押し付けているのと同義なんです。

「俺はこうやってるんだから、おまえもこうやれよ!」みたいな。

すごく乱暴に書くとこの質問は「自分は敬語で話てるんだから、おまえも敬語を使えよ!」と省略することもできると思います。

これって実はすごく怖い事だと思います。

先輩とタメ口さんの間で その話方で人間関係が問題なく構築されているんなら、第三者が本来なら口を出すとこではないんです。

でも頭ではわかっていても、タメ口さんを外野から見てるとイライラしてしまう。

なぜイライラするのか?

このシチュエーションを自分(倉坂)に置き換えて考えたら、僕の場合はこういう時のイライラの原因は”嫉妬してる”事が多いです。

さきにも書きましたが”馴れ馴れしく距離感をつめられる能力”が僕にはないです。

初対面で、フランクに仲良くできる人に対して嫉妬してしまってる。

もっとライトに書くなら、羨ましいと思ってしまってる。

自分にできないことをやっている人を羨ましいと思う

否定して自分の価値観をおしつけたい

もしかしたら質問者さんも、そんな思考の流れになっていないかな?と、ふと思いました。

これ、あんまり生産性ないんですよね。

もう、質問者さんと、タメ口さん は生き方の流派が違うから。

違う流派を認め合って生きてくしかないんです。

同じ日本語を使ってるけど、違う部族なんです。

部族のシキタリが違うんです。

これぐらい割り切って考えないと、たぶんしんどくなっちゃうんじゃないかな…と思います。

そして「ああ…もしかしたら、俺はいま彼に対して、ちょっと嫉妬しちゃってるのかな?」

ぐらいに気軽に自分の気持ちを整理してみると、楽になるんじゃないかな?と思います。

実際、どれぐらい失礼なタメ口なのかも、その場で聞いてないので、想像だけで書いてしまってますが。

真面目な日本人

ちゃんと敬語を使わなければと考える人というのは、たぶん真面目な人 だと思います。

なので、質問者さんはたぶんすごく真面目な人だと思います。

真面目な人というのは、今の日本の社会で生きていくうえで、損する役回りが多い。

たまに「なんで、こんなに気をつかわないといけないんだろう?」と馬鹿らしく思ってしまう事もあるかもしれない。

それでも他人の事や周りを気遣えるのは、すごく素敵な事だと思います。

そんな日本人的な気遣いの文化が僕はすごく好きなので「真面目にがんばってるのは素敵な事だよ」と、周りになんと言われようと、それは肯定したい。

ただ「真面目」と「頭が固い」は紙一重でもあります。

だから、もしかしたら「自分の頭が少し固いかもしれない」と自分の弱点をしっかり認識して、

「他人は他人」とある意味で割り切って、質問者さんは先輩に敬語をしっかり使っていけばいいんじゃないでしょうか。

タメ口さんが嫌なヤツなのか良いヤツなのか、この質問からではわかりませんが、タメ口さんともいつか腹をわってお話できてもいいかもですね。

部族間交流。

何か生まれるかもしれないし、何も生まれないかもしれない。

でも、自分と違う価値観をわからないまでも、認めるというのは、思いつめすぎずに生きていくためのちょっとしたコツだと最近は思います。

少し大げさに、横道にもそれてしまいましたが、そんな風に思いました。

おわり


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