純情(ピュア)な恋とは?

先日、「ピュアな恋」という話をしました。

ピュアというのは「純粋で混じりけがない」という意味らしいので、

ここでは「純情」と訳しても間違ってはないのかな?と思います。

純情な恋。



さて、どうなんでしょうか。

何をもって「ピュア」というのか。



大人なので誰だって、打算は常にあると思う。

損得の計算を無意識にしちゃう時もあると思うし、

そういう打算がないものを「ピュア」と呼ぶのなら、

そんな「ピュア」なら僕はあまり信用できないと思った。



打算がないっていうことは、極端な話ですけど

何も考えてないだけ

な気がするんです。

それって我に返ったら、すぐに崩壊しちゃいそうじゃない?と。

知ってしまったら、そこで終わるというか。



恋に限らずと思いますが

何か一生懸命になった時

迷うこともあると思うし

ずるい事も考えると思うし

それこそ、損得を考えて打算的になってしまうこともあると思うし

それでも、

そういうのを全部ひっくるめて、

それでも好き

とか

それでも頑張ろう

とか

むりやりでも前を向こうとしてる人が僕は好きです。

そんな人の方が、僕的にはよっぽどピュアなんじゃないかな?と思ったりもしました。



例えばですけど

SEXをしたことない人間が「SEXなんてしなくても良い!」って言ってるのは、僕的にはプラトニックでもピュアでもなんでもない。

それはただ知らないだけでしょ?と。

SEXを知ってる人間が「SEXなんてしなくても良い!」って言う方が、逆説的かもしれませんが、僕的にはよっぽどプラトニックな気がするんですが

世間的な定義ではどうなのでしょうか。

少なくても僕はそんな風に思ったりはします。



いっぱい悩んで、

自分の汚いとこもいっぱい自覚して、

ドロドロに汚くても

いちいち、それに負けそうになってる弱さと

それでも無理やりに前をむく強さと

そういうのをピュアと呼びたいし、美しいと思ったりもします。

本来の意味とは、ぜんぜん違うかもしれませんが。



1/3も伝わらない純情の感情で空回ってる場合じゃないんですよ。

汚いものを無自覚に見て見ぬふりしてる人より

汚いものを受け入れて、いちいち悩みながら

それでもなんとか美しくいようともがいている人がいい。

そんな人の方が人間臭くて嘘くさくない。



と、いつもにもまして、くさいことを書いてる気がする。

すまん。

そんなモードなのでゆるせ。

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