自分の価値観で生きる。

「自分の価値観で生きる。」なんて書くと、

なんだかすごくかっこいいような気がする。



逆に「他人の価値観にあわせ生きてる」

などと書くと、すごく窮屈な人生を送ってるようなイメージになる。



たぶん実際には、これどっちもどっちなんでしょうけどね。



僕が思うに

そもそも、自分のなかで

“かっこたる「価値観」を作る”

という行為は、人間の社会性というか

誰かと一緒に生活したり

誰かの価値観を知ったりして

それを共有したりしながら、少しずつ形にしていく行為だと思うのです。



つまり”価値観”というは、

自分に対して向いあったり、すれ違ったりしてくれる他人ありきの物だと思ってまして。相対的なものだと僕は思うんです。



そういう相対的な物差しで出来上がったものに対して

「自分の価値観」

とか言いきっちゃうと、それって他人様とのかかわりの過程で生まれたものでしょ?

本当にそれ「自分の価値観」って言いきってしまっていいの?

とか、理屈っぽいことを考えてしまったりする。



…まぁ、本来はそんな面倒くさいことを考える必要はないのでしょうが。



なんでこんなことを書いてみたかと言うと

自分的にいろいろと考え方とか生き方の過渡期なんですよね。



自分で言うのもあれなんですが

僕はけっこう人に気をつかうというか、人に合わせるほうなんですが

正直なところ、最近それもちょっと疲れたな…とか思ってまして(笑)。



人に気をつかうのを美徳と思って生きてきたのですが

もうちょっと自分にワガママに生きたほうがストレスも少ないし

結果的に上手くいきそうだな…と。

…なんかすごい嫌なヤツみたいなことを書いてますが(笑)。



必要以上に気をつかわない ようにしたい。ぐらいの感じなんですがね。



変な例え話なのですが



僕が道を歩いてるとします。

向かいから 別の人が歩いてきました。

このまま歩いてるとぶつかりそう。

こういう時

お互い半歩ずつ、横に少しだけ身を寄せる。

そうすれば、ぶつからないですむ。



本来にこれだけの話じゃないですか?



こういう時、

ぶつからないように僕は横に少しずれるんですね。

ただ、向いから歩いてくるやつは、そのまんまズレずに真っすぐに歩いてきやがる(笑)。

結果、僕が気をつかってズレたのにぶつかりそうになる。

…なんかね、こういうことが多い。



面倒くせーな。と。



そもそも、

僕は向こうから人が歩いてきてもぶつからないように

最初から端っこを歩いてるんです。

そのまんまんでいいのに、人が来たから

気を使って、さらにはじに寄ったわけです。

それでもぶつかりそうになるって

もう、これ完全に相手が悪いやん?

そこまで気をつかう必要あるか?



…などと普通のことに気付きました。最近。



過剰に気をつかいすぎるのも違うよな?

と、20歳ぐらいで気づきそうな話に、僕は最近 気づいた。

恥ずかしながら。



そもそも、誰かに気をつかったり、人に優しくしようとするのって

「嫌われたくない」とか「悪者になりたくない」とか、そんな利己的な理由も実はあったりするじゃないですか。



もうちょっと自信を持って、悪者にもなっていきたいな。と。

決意を新たにした、倉坂でした。



…タイトルとぜんぜん関係ない結論になってしまったな。ゆるせ。





前回、「サイコパスになりたい」という記事を書いたので、
読みたくて読んでなかった本を購入。まだ読めてませんが。

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さてさて。そろそろチケット買ってくれーさ。お待ちしてます。

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