おい、まったく聞いてなかったぞ。
大好きなバンド kidori kidori が解散しました。
はじまったものはいつか終わるわけで、こればっかりは仕方ない。
仕方ないんですが。
でも、kidori kidoriは僕にとっては、やっぱりすごく大切なバンドだったので色々と複雑な気分です。
twitterに思いつくままに色々と書こうかと思ったのですが、夜中にTLを埋めると、また苦情がきそう気もしたので(笑)kidori kidori もとい、キドリキドリの 今だから書けるような思い出話をちょっと書いてみよかと思います。
キドリキドリ
僕と彼らの出会いは mixi。初期の頃はやることなくて、彼らはmixiで足跡をつけまくってたので、それがきかっけ(笑)。
SNSで会いました。
この現代っ子どもが (笑)。
とは言っても、twitterじゃなくてmixiというのが時代を感じますが。
出会った頃の彼らはまだ十代。
僕は二十代後半ぐらいだったでしょうか…、いやもう三十代だったかな…。
その辺りの記憶はあいまい。
マッシュは最初の印象から、頭の良さそうな子だなぁ…という感じでした。
とはいえ、まだその頃は若さゆえに、頭デカッチな印象は若干はありました。
だって、まだそんなにライブ経験もない10代の子のバンドだったんでね。
最初から色々と活動の仕方も自分達で考えてたし、何より音楽をすごく好きな子達だったので、けっこうすぐに仲良くなったような記憶がある。
バンド活動におけるSNSの活用の仕方は、この頃のキドリキドリに僕は教わったんですよ。実は。
なのでキドリキドリは僕の師匠。
僕も時期的に青年期を過ぎて中年期に差し掛かる頃。
おっさんになってきて、外からの情報だったり若い子の流行だったりをシャットアウトしかけてた時期でした。
だからキドリキドリのメンバーと話してると刺激的でした。
若い子のネットに対する考えかただったり、SNSの活用の仕方の話だったり、なにより音楽の話を彼らとしてるとすごく刺激になりました。
特にマッシュさんには、洋邦、インディー、メジャー問わずで色々なバンドの音を教えてもらったし、今でも「最近、どんなの聴いてる?」みたいな話で色々と教えてもらってたりします。
ちなみに、僕はイギリスのロックが好きだったので、その辺りで最初は話があった。
マッシュさん、ウェールズ生まれの帰国子女なんでね。
当然のように英語もペラペラでした。
かっこいい。
僕は、世代的にoasisなんかがドストライクの世代。
キドリキドリのメンバーが聴いていた、oasis以降のUKロックにあんまり面白みを感じる事が出来ずにいた頃だったんですね。
おっさんが「最近のバンド、あんまり面白くないよなぁ?」みたいに言ってる感じ(笑)。
あんまりちゃんと聴いてなかっただけなんですが。
なので、「こいつらが、かっこいいって言うんなら、かっこいいんだろうな…もう一回ちゃんと聴いてみよう!」みたいに、Arctic Monkeys 以降のイギリスのロックなんかを聴きだしたのは、完全にキドリキドリの影響でした。
面白かったのは
「Arctic Monkeys、きちんと聴いてみたらかっこよかった!」みたいな話をマッシュにしたんです。
そうしたら、マッシュに「え?倉坂さん、まだアクモンですか?今は○○ですよ!?」みたいに常に僕より先を行っていた感じが面白かった(笑)。
その後、マッシュさんはどんどんマニアックというか聴いてる音楽も深くなっていって、ワールドミュージックとかを聴きだしてたみたいです。
その頃に話をしていても、知らないことばかりで楽しかった。
一時期、「マヌ・チャオが!」ばかり言ってた記憶がある。
Buffalo Springfieldが、はっぴいえんどが、細野さんが…みたいな話にもなっていくんですが、はっぴいえんど辺りはもちろん僕も聴いていたので、また別の角度から繋がっていったりして面白かったです。
ブラジル音楽に僕がはまってた時も、マッシュさんなんかは当然のようにその辺りも聴いていたので、おすすめを教えてもらったりしてました。
だから、音楽/リスナー的にはマッシュさんは僕の師匠なんです(年齢はかなり僕のほうが上だけど)
ずっこけ三人組
やってた事は大阪の田舎のバンドとは思えないぐらい、当時からかっこよかった。とはいえ、所詮は大阪の片田舎で幼馴染3人が組んだバンド。
やってる音楽は洗練されててかっこいいけど、どこか垢抜けない田舎のバンドって感じもあって、そこのミスマッチな感じがすごく僕は好きでした。
本人達はいたって真面目にやってるんだろうけど、なんだか凸凹トリオというか、ずっこけ三人組みたいな感じでした(笑)。
彼らが20歳になった頃に、人生オワター的に凹んでたのは覚えてる。
最初の頃の彼らのプランでは、やっぱり10代のうちに、鮮烈にデビューしたかったみたいです(笑)
当時、僕が働かせてもらってた、三国ヶ丘FUZZというライブハウスの近所に彼らは住んでいました。
「自分の家の近所のライブハウスが盛り上がってくれたら、僕らも市内に行かなくても良くて楽だから」
っていう嘘みたいな理由で(笑)色々と一緒に企画イベントみたいなことをしたり、バンドもたくさん紹介してもらったり。
色々とやったなぁ。
昭和vs平成 みたいな無理やりなイベントをやって、完全にノンフィクションに出演してもらったりもしたなぁ。
そうこうするうちに、キドリキドリもインディーズでCDのリリースが決まります。
その頃になると、やっぱり色々と外向きの活動をしていかないと駄目になるので、ちょっとFUZZとは疎遠にはなっちゃうのですが。
でも、一枚目のスペシャルサンクスに「倉坂さん」って書いてくれてて、すごく嬉しかったのは覚えてる。
というわけで、僕がFUZZで働きだした初期の頃にはかなりお世話になってました。
今でこそ書けるけど、当時、若いバンドといえば、高校生のコピーバンドがほぼメインで出ていたようなライブハウスでした。
そんなライブハウスに、毎月出てもらってたギャーギャーズとキドリキドリには今でも感謝でいっぱいだし、足を向けて眠れません。
「ごめん!この日、出演バンド足りてなくて困ってるねん…!キドリキドリお願いできる?」
「確認します。ああ、予定空いてるから、いいすよ!!」
みたいなやりとりは何回もあったし、今思うと豪華というか。
キドリキドリの無駄遣いしてたなぁ(笑)。
本当にありがとう。
超余談なんですが。
キドリキドリが別のライブハウスのイベントで共演してたバンドのホームページをふと見ててたんですね。
その共演バンドのVoさんが書いていたblogの内容が面白くて、メールを打ってみたんですね。
「はじめまして。blogがすごく面白かったです。良かったらうちのライブハウスに出演してもらえないでしょうか?」
って。
blogが面白かったからメールした…っていうのも、今考えたらめちゃくちゃなんですが(笑)。
で、そのメールがきっかけで出演してくれたバンドが、sQueeze Left というバンドでした。
そのsQueeze Left のサポートメンバーとしてBassを弾いていたのが、KANA-BOONのvoの鮪だったんです。
なので、僕と鮪の出会った最初のきっかけも、実はキドリキドリだったりします。
(sQueeze Leftの話もまた機会があればいつか書きたい)
書いてるうちに色々と思い出してきて話の収集がつかないのですが、FUZZにアメリカのバンドがツアーで来る時に、缶コーヒー1本でマッシュに通訳を頼んだ…なんて話もありました(笑)。
たしか、その時、裸体にも出てもらったよな。
あの時はありがとう。
日本語の歌詞はダサいね
英詞は良いけど、日本語の歌詞はあんまりやね?みたいな事を彼らに言ったことがあるんですね。そしたら、それを根に持てったらしく(笑)、日本詞の名盤「!」が出来た時、これ見よがしに持ってきてくれたもんな(笑)!
「日本語の歌詞で本当に良いアルバムが出来たので聴いてください!」って。
その時の話はこちら
いや、その節は偉そうに失礼いたしました。
「!」は本当に名盤だと思います。
すまんでした。
音楽の話ばっかりでした
さっきも書きましたが、インディーズでCDのリリースをした頃から、若干、バンドとしては疎遠にはなってしまったのですが、マッシュさんは近所に住んでたからよく道では会ってたんですね。しかも、犬の散歩コースがFUZZの前の道だったみたいで、だいたいイベントがオープンするぐらいの時間に、犬の散歩してるマッシュとよく会った(笑)。
その時も、特に何を話すわけでもないんですが、
「お久しぶりです!これ聴きました!?めっちゃヤバイすよ!聴いてみてください!」とか言われて、イヤフォンを渡されるんですね。
で、「おー!ほんまや!めっちゃカッコいいやん!」みたいな話だけして、マッシュは「じゃ!」って犬のお散歩に戻るんですね(笑)。
滞在時間2分ぐらい(笑)。
思えば、ほぼ音楽の話をしてた記憶しかないなぁ。
そんな関係か。
まあ、ライブハウスの人だったり、バンドマンとしては正常な関係か。
今でも、たまに僕から電話したりするんですけど、電話の内容もほぼそんな感じやしね。
さみしいのは本音
で、東京に行っちゃって、ンヌゥも辞めちゃったり、色々と状況も変わっていきました。キドリキドリから、表記もkidori kidoriに変わったり。
正直、バンドが東京に行くのは嬉しい気持ちで背中を押してあげたいのが半分、さみしい気持ち半分だったりします。
バンド側がどう思ってるかは知らないけど、俺はけっこう友達のつもりで接しているので(歳は離れてるけど)単純に友達に会える頻度が減るので、さみしいっていう。
ちょっとさみしいのは本音。
それでも、バンドを続けてくれてたらね、会う口実なんていくらでも作れるんです。
ライブ見たり、CD屋さんや、ネットなんかで「ああ、元気そうやね」って確認もできるし。
ただね、
バンドが解散しちゃうとね。
そんな口実だって作れなくなっちゃうじゃないか。
はじめたものは、いつか終わる。
それはわかってはいるし、終わるバンドに色々と言うのは好きじゃないんだけどね。
やっぱり大好きなバンドが解散してしまうと、さみしいのは本音。
タイミングに恵まれなかったのか、元来のマッシュさんのひねくれ気質が災いしたのか、今、振り返ると色々と難しいバンドだった気もします。
それでも彼らの作る音楽が大好きだったし、人も大好きでした。
別に今でも、気軽に電話の一本でもすればいいんだけど、なんだかやっぱりさみしい。
さみしいのは本音。
キドリキドリ、kidori kidori 今でも大好きです。
もう一回ぐらい、kidori kidoriと共演したかったっていう、The denkibranとしての夢は果たせてないので、別の形にはなりますがマッシュさんとはまたいつか共演したいなぁ。
去年のMISOJI CALLING、出てくれてありがとうね。
おつかれさまでした。
ありがとう。
携帯電話がなっちゃって居場所がばれた。
今、思うと悪い歌詞でもないかもね。
いきなり告知で、解散ライブもなしってのは、らしいけど
なんだかもう。
なんだかもう。