サムライ・ウイルス

序文

先日、仕事中に母からこんなメールが来た。

「お父さんがインフルエンザでうなっています。帰ってきたら、手洗いうがいを忘れないように。」

母の優しさあふれたメールである。

しかし、ほんの一週間前まで、インフルエンザウイルスに感染して、うなっていたのは母である。

暦のうえでは春だというのに、インフルエンザウイルスに侵食された倉坂家。
はっきり言って、そんな家には帰りたくない。恐るべしはウイルスである。
スポンサーリンク

本文

ウイルスというのは、生物学上は「非生物」・・・つまり、生き物ではないらしい。

そもそも生物学の定義では、「細胞」を構成単位としているものを「生物」と呼ぶ。
なので、他の生き物の細胞を利用して増殖を図ろうとする、みずからは細胞を待たない「ウイルス」は、生物学上では「非生物」になるようだ。
ただ現在の自然科学では、「生物・生命の定義」とうのも、まだ曖昧らしい。
「ウイルス」を「非生物」と言い切っていいのか?という議論の答えは、未来まで持ち越し・・・と言ったところだろう。

5年前ぐらいだろうか、ウイルス学の研究者が心理学者の協力のもと、アメリカである実験を行った。

意図的に、あるウイルスに感染させた10人の被験者に対し、それぞれ質問を行う・・・という、ただそれだけの実験である。
質問の内容は様々で、被験者の性質にあわせて約400もの質問が用意されたという。
どの質問も、被験者の「喜怒哀楽」どれかをくすぐるような質問。
・・・つまり、ある時は被験者に対して不愉快になるような質問をぶつけて、怒らせてみたり。
ある時は、被験者が嬉しくなるような質問で「喜」の感情をくすぐってみたり・・・と、色々なパターンで感情を揺さぶってみたわけだ。

おもしろい結果がでた。

被験者が質問によって「喜」と「楽」の感情をしめした時、感染しているウイルスの数が激減したのである。
さらに「哀」の感情を被験者が示した時、ウイルスの数が激増したのである。
なるほど。これがいわゆる「病は気から」のメカニズムらしい。
アメリカにもそんな言葉があるのかどうかは知らないが、迷信もあなどったものではない。

しかし、「怒」の時はこれといってウイルスの数に増減もなく、なんの変化も認められなかった。

そもそもウイルスの増殖というのは、ウイルスがウイルス自身の力で増えるわけではない。
ウイルス自身には増殖能力はない。
けっきょくは、宿主の細胞が作るエネルギーを利用してウイルスというのは増殖を行うわけだ。
人間の大脳で感情のエネルギーが作られた時、その大脳の直下にある間脳に反応した何かしらの身体の変化にウイルスが反応する・・・という事だろうか?

この実験は1週間、ある施設にて行われるはずだった。

実験も4日目、中盤にさしかかる頃に変化が起きた。

10人中、もっとも「怒」の感情を強く示していた人間(ここでは仮にAとする)に感染していたウイルスのDNA構造が変化したのである。
興味深い事例だと、研究者はAが怒りの感情を示した時のウイルスの状態を注意深く調べてみたところ、
脳波計の針が「怒」をしめした時、ウイルスのDNAの組み換えが起こる・・・という事実を発見した。

「怒」はウイルスの増殖には直接関係しなかったものの、ウイルスの構造自体を組み替えてしまう・・・という興味深い事実が発覚したわけだ。
(ただ、この結果は10人中Aだけにみられた現象である。)

「人間の感情のエネルギーで新種のウイルスが生まれる。」・・・そんな事がありえるのだろうか?

Aに変化がみられるようになったのは、実験3日目から。

もともと控えめな性格だったはずの彼が、積極的に発言するようになり別人のようになったのだ。
その日の午後などは自らを、自画自賛で褒め称えたたえる意味不明な言動もみられた。
一種の興奮状態におちいり、狂信的な新興宗教の信者のような異常な言動が多々見られるようになったのである。
かと思えば、実験終了間際の夜頃には感情の揺れがまったくなくなり、何の質問にも答えなくなり、ただ黙って壁を眺めて彼はその日を終えたのである。

新型Aウイルスの影響だろうか・・・?
ウイルスが人間の心理状態に影響を与えるという事は、はたしてありえるのだろうか?

4日目、A自身にはそれ以上の変化は見られなかったが、Aの周りの人間に変化が起きた。

まず、Aと施設の同じ部屋で寝食を共にしていた、別の被験者(B)の態度が一変した。
状態的には、昨日ののAと似た状態である。
Aは昨日の午後から相変わらず沈黙を続けている。
ただ、時たま見せるAの眼光の鋭さに、常人にはない鬼気迫るものを感じられたらしい。
Aに尋問をしていた心理学者の様子も午後から、おかしくなってきた。

急遽、実験者、被験者含む、すべての人間の検査を行ったところ、検査施設内の人間の約半数が新型Aウイルスに感染している事がわかった。
(発症したのは3名のみ)

別の心理学者は、「これは不測の事態」と実験の中止を促した。

ウイルス学者は強く実験の存続を希望したが、人道的な見地からそれも難しく、「新型Aウイルス」を発見した際に、万が一に備え作られた抗体を使用し、実験はあえなく4日目に中止となった。
(抗体使用後、Aをはじめ他の人間はまた正常な状態に戻り、今は普通に社会生活をおくっている。)

この実験自体がいわゆる人体実験的なものなので、公にされる事はなかったのだが、昨年この実験に関わった人間が、著書の中でこの実験に触れ、ウイルス学の分野では新たに波紋を起こしていると言う。

その中から興味深い内容を抜粋してみたい。

”~ウイルスの増減と、DNA変化の関係である。
例えば、あるウイルスに感染した人間が危機的状況におちいり、絶望したとする。
絶望という状況は、「喜怒哀楽」でいうところの「哀」。
「哀」により、ウイルスの数は爆発的に増加すると考えられる。
その後、絶望のはけ口が、怒りに変わった時、その爆発的に増加したウイルスのDNA構造が変化し、人間の心理状態におおきな影響を与える。
つまりは人間の劇的な感情の変化、心理状態の変化(悟りといわれるもの、狂信的な思想、宗教的な思想など)は、ウイルスによるものではないのだろうか。
常人に理解できない突飛な思考を発症させるウイルスを、みずからの感情により人間は作り出せる・・・という事であろうか。”

なるほど。これは、つまり革命家だったり、教祖だったりを誕生させるために、ウイルスが仕組んだ実行プログラム・・・という事だろうか。

「何かを変える」という思想のたいがいは、変わらない現状への「絶望」からはじまり、「怒り」が起爆剤となり、行動を起こすものだ。
その後、その革命思想が広がっていく・・・というのは、そのウイルスを発症した人間のカリスマ性ではなく、そのウイルス自体が他人に感染して、思想として広がっていく・・・と考えると、合点はいく。

隔離された中で、発症して広がっていく・・・と考えると、歴史上に現れた狂信的な思想のほとんどが、このウイルスによるものではないのだろうか。

「隔離された中=島国」と考えると、第二次世界大戦中の日本などは最たるものだと思われる。
さらに「隔離」という意味で考えれば、それ以前の時代の日本・・・つまり鎖国で外界からの接触をまったく断っていた頃などは、まさにである。

・・・と考えると、鎖国していた頃の日本の独自文化や思想などは、もしかしたら、自らの国内で発症したウイルスによるものだったのかもしれない。
何らかの影響で発症して広まっていったであろう「サムライ」という男尊女卑型のウイルスに犯されていた当時の日本。

今は、本当の意味ではもう廃れてしまった「大和魂」というのは、もしかしたら旧時代に蔓延したサムライ型ウイルスのある一つの形だったのかもしれない。

たしかに「ハラキリ」などという、他の国の人間(ウイルスに感染していない人間)から見れば、狂人的な文化思想がまかり通っていたという事実。

しかし理解できないまでも、日本人独特「ワビサビ」の文化を美徳と思える、現代の日本人も、もしかしたら発症しないまでもサムライ・ウイルスに感染しているのかもしれない。

今後、現代社会という抗体により、サムライ・ウイルスは決して発症する事はないかもしれない。

しかし、小さな島国でその昔に広まった思想と歴史と誇りを忘れずに生きていきたい。

その誇りすら、新型のウイルスによる作られた思想かもしれないが。

倉坂

※12行目、実験のくだりから下は全部嘘です。

ウイルス学なんか勉強したこともないので、デタラメでめちゃくちゃな内容です。

絶対に信じないように。

スポンサーリンク