昨日の新宿ロフトでのライブありがとうございました。
The denkibranとしては二回目の出演。
ひょんなご縁ではありますが、こんなタイミングで定期的に呼んでくれる東京のライブハウスさんとめぐり合えるとは思ってなかったので本当に感謝しております。
新宿ロフトありがとうございます。
今日は、昨日のライブのMCで、チョロっと話したのですが東京のお話。
うろ覚えなのですが、プライマル という曲を演奏する前に「僕は大阪に住んでバンドをやっているので、いつだって東京に行く仲間を見送る側
例えば、メジャーデビューするから東京に行くやつ、何も売れるあてもないのに東京に行くやつ
この東京という街、東京という場所には何があるのか?」
みたいな事を言ってから演奏しました。
ふと思ったんです。
この東京という街には何があるのかな?と。
僕にとっての東京という街はたまに行く場所で、いつも誰かを送り出す場所
東京に誰かを送り出す時は、嬉しくもあり、誇らしい気持ちもあるけど、やっぱり仲の良いやつを送り出すわけだから、いつも、寂しくもあるのが本音だったりします。
距離の話
実際、大人になった今だと、東京という場所までは別にたいした距離じゃない。行こうと思えばすぐに行ける距離。
近いか遠いかって言ったら、たぶん近いんですよね。
でも、なんだか東京という街を遠く感じてしまうのは、たぶん心の距離みたいなのが自分にとって遠いのかな?と。
なんか、遠距離恋愛みたいな話になってしまいましたが(笑)。
そう考えると、ずっと大阪という地方の街に住んでいて、僕はたぶん東京という街にコンプレックスがある。
正直なところ、東京の街に憧れたことはない。
だけど、確実にコンプレックスがある気がする。
いつだってビジター的な気持ちだった自分の話
ちょっとだけ自分語りをすると、僕は、両親が二人とも長野県の人なのに、なぜか大阪生まれ大阪育ち。小さい頃は大阪の狭い範囲の中ではあったけど、引越しが多かった。
家での家族の会話は、長野県の方言まじりの標準語。
引越しが多いから、昔からの知り合いはあまりいない。
そのせいなもあって、ずっと大阪の街で暮らしているわりに自分が大阪人であるという感覚が極端に薄い。
どこにいっても、どこで暮らしていても、子供ながらにビジター(来訪者)的な感覚を持っていたような気がする。
子供にとって引越しというイベントは、ようやく出来上がった人間関係を一瞬で、ご破算にされるイベントなわけです。
大人にとってはたいした距離じゃなくても、まだ自転車にも乗れないような子供にとっては、その一校区ぐらいの距離で、人間関係もすべて変わってしまうわけで
引越しというのはいちいち人生が変わるようなイベント
そんなイベントが半年や一年単位で起こる。
当時は、別に見知らぬ新しい街で新しい誰かに出会うことを楽しみとは思えなかった。
不安でしかなかった。
だから、正直、引越しなんかしたくなかった。
そんな幼少期の記憶のせいか、自分には”ここではないどこかへ行きたい”という感覚があまりない。
どこかに行きたい という気持ちよりも、出来るならひとつの場所に安住したいという気持ちが強い子供だった気がします。
なるべく同じ場所にずっと居たいみたいな気持ちは今でも潜在的にある気がする。
だからか、若い頃からバンドはやってはいたけど、東京に行きたいなんて思ったことは一度もなかった。
「大阪という街が大好きだから!」みたいな理由じゃなくて、とりあえず、どこか別の場所に自分の居場所が移る という事がとにかく嫌だった。
よくよく考えると、こと住む場所、過ごす場所に関しては、特に昔から消極的な思考だった気がする。
大人になって
ありがたい事に、この1年ぐらい東京に行かせてもらうことが増えた。仕事だったり、遊びに行くだけだったり、The denkibranでライブをさせてもらったり…
理由はその都度それぞれだけど、とにかく東京に行く機会が増えた。
新幹線だと3時間ぐらい?
大人になったおかげで、東京も近くなったもんだなぁと思う。
いつか送り出した、東京で過ごす懐かしい仲間と、東京で会う機会もやっぱり増えた。
会って話すと、それぞれがんばってはいるんだろうだけど、みんな相変わらずで心の距離なんてのは微塵も感じないわけです。
そんな時は「いつも、ありがたいなぁ」と何かに感謝してる。
何に感謝してるのかは、自分でも正直よくわかってない(笑)。
それでも繋がっていられる色んなご縁に感謝してるんだろうなぁ、きっと。
東京コンプレックス
大人になって実際の距離というのは縮まった。心の距離だって実はないことがわかった。
それでも、東京という街に僕がもっているコンプレックスの正体というのは、果たして何なんだろう?と考えみた。
わかりやすく書くと、たぶん東京に抱いてる僕のコンプレックスは、嫉妬に近い感情なんだと思う。
僕にとっての東京というのは、”自分が戦いに行ったり、新しく出会ったりする場所”ではなくて、ずっと”誰かを送り出す場所”であったわけです。
経験ないけど、娘を嫁に出す親父の気持ちみたいな感じなんでしょうか。
大好きな友達を、別の友達に取られちゃったような感覚なのか。
僕の東京コンプレックスというのは、たぶん嫉妬。
ここにはないものが、そこにはあるのか?
東京という街に何があるんだ?
そんな気持ちは、親父が「そんな男の何がいいんだ!?」と娘さんに思う気持ちに近いかもですね(笑)。
親父も本当は、娘が選んだ男なら認めたい気持ちもきっちりあるんですよ(笑)
I’m an alien I’m a legal alien
そんな風にちょっと客観的に、東京の街と自分をとらえられるようにはなったけど
東京の街でふと一人になる時、STINGのEnglishman in New Yorkという曲を思い出す。
I’m an alien I’m a legal alien
I’m an Englishman in New York
(僕はエイリアン、治外法権の外国人、僕はニューヨークにいるイギリス人
…訳詞はみたいなニュアンスでしょうか?)
自分にプライドは持ちつつ、その町を受け入れつつも、ここは本当の自分の居場所じゃない、みたいな感覚。
嫉妬という感覚を抜きにした時に、僕が東京の街に持ってる感覚にすごく近い。
田舎者がポツンと、あまり知り合いもいない大きな街にいる時
たぶんちょっと心細くて、I’m an Englishman in New York なんて口ずさみながら、一人で格好つけて街を歩いていたりする。
こういう、自分をビジター(外来者)と思い込む感覚って、「この町の事は好きだけど、ここに自分の本当の居場所はない」みたいな、とってつけたような被害者意識と紙一重な気がするんです。
この感覚って、いつか経験したことあるよな…と東京の街をフラフラと歩きながら考えてたんですが、十代の頃の感覚に似てるんですよね。
例えば
「学校でみんなと笑って表面的に楽しいふりしてるけど、それは本当の自分ではない」とか
「何か目に見えない社会だとか大人だとかを仮想敵にして過ごす感覚」とか
「今の自分はまだ途中で、本当はもっと自分はすごいはずだ!と思い込みながら過ごす毎日の焦燥感と虚無感」とか
そんな利己的な被害者意識だけを都合よく持って、まだ根拠もなくすごい未来があると信じて過ごしていた、あの頃を思い出せてくれる街。
中途半端な自分のプライドと言い訳を良くも悪くも粉々にしてくれる街。
なんだか十代の頃に気持ちだけタイムスリップして、センチメンタルになる街。
だから例えば僕は東京に住んでしまうとセンチメンタルに押しつぶされてしまいそうな気がする。
だから今ぐらいのビジター感覚がちょうど良いかもしれない。
とか、格好つけて書いてみたけど、実際に住んじゃったら、きっとすぐに慣れるんだろうなぁ。
気持ちが慣れてしまうって事が、僕が思う大人になるってことかもしれない。などと、書いててふと思った。
子供と大人の境目って、一番、切なくて、つらくて
でも一番、楽しい。
そんな忘れてた気持ちを思い出させてくれる街が、今のところは僕にとっての東京という街です。
今のとこはね。
新宿ロフト
ここ1年ぐらいでよくお邪魔させてもらっている東京のライブハウス。The denkibranとしては昨日が二回目の出演でした。
まさかこの年齢になって、ひょんなご縁ではありますが、定期的に東京のライブハウスに呼んでもらえるなんて思ってなかった。
そのご縁も昔から仲間が運んできてくれたものですしね。
本当にありがたい気持ちです。
感謝しています。
ありがとうございます。
そんな場所が出来たおかげで、今までの自分の”東京に対する気持ち”がちょっと変わってきたような気がしました。
人がいて、そこが自分の場所になって、そこにまた別の新しい人が来てくれて…という、当たり前の循環を新宿の街でも僕らは出来るんだ…と、昨日は嬉しい気持ちになりました。
東京の街に戦いに行ってるような気持ちは僕にやっぱりないです。
それでも、知らなかった街になんだか居場所が出来たような気がすると素直に嬉しい。
東京の街がちょっとだけ好きになったのは、たぶん、あなたのおかげです。
なんだ、やっぱり仲間に入れてもらえないから、僕は嫉妬してただけだったんだ。
あの場所にいた人たちと、新宿ロフトありがとう。
書いててすごくまとまりのない駄文になってしまったけど、
今いる、この場所が自分の場所だと胸をはって
新宿ロフト(2017.03.15)
1.ルート26
2.スクリューボーイコメディ
3.海がみえるところ
4.プライマル
5.美女で野獣
6.センチメンタルギターラプソティ