僕らが愛した場所

明けましておめでとうございます。なんて新年の挨拶を早々に。

花柄ランタンの村上がこんなblogを書きやがるから、正月からちょっとおセンチな気分になっていました。

村上がblogで書いているのは、たぶん2010年ぐらいの頃の話か。(もう4~5年前か…と思うと恐ろしい)

僕目線から見たその頃をの話をちょっとだけ。



多くのライブハウスには、若い地元のアマチュア、インディーズバンドがたくさん出演していています。

なので、真面目にライブハウスをやっていれば、ライブハウスにはそんなたくさんの若いバンド達の出入りがあります。

その「真面目にライブハウスをやっていれば」ってところがキモ。

僕がライブハウスで働きだして最初に思った事が

「3年ぐらいこの感じで(ライブハウスとしての仕事をがんばって)やっていれば、3年後には、たくさんの若い子達が集まってきてくれるかな?」

でした。

その「3年後」にあたるのが、ちょうど2010年の頃。

一期一会と書くと本当にありきたりになってしまうのですが、あの時のあの空間というのは、本当にその時だけのもの。

やっぱりあの頃の空気感というのは、人に説明しようと思って言葉にしても、あそにいた人間にしかわからない、誰にも説明できない、そんな空気感かもしれません。

今、例えば同じ人間がそこに集まったとしても、やっぱり同じにはならないし、その時にそこに居た人間にしかわからない感覚。

普段からよく言っている話ですが「人と人が繋がってそれが場所になる。」まさにそんな感じなんだと思います。

「人と人との繋がり」というのは、やっぱり計算できなくて、その時その時に、誰と誰が繋がっていくのか?というのは、大げさに書けば本当に運命なのかもしれません。

だからこそのあの空間というのは一期一会の塊みたいな場所だったのかもしれません。

例えば、あんなに大好きだった学校だけど、卒業してから久しぶりに遊びに行ったら、先生も変わっていて、もちろんそこには違う生徒がいて。

大好きな場所には変わりないんだけど、もう自分の場所ではないんだな…なんて、物悲しさを経験した事のある人もいると思います。

たぶん、そんな感じに近いかな。と。

もう自分の場所ではないかもしれないけど、やっぱりいつまでも自分の場所、みたいな不思議な気分。
その頃の自分は、義務教育の先生みたいなつもりで、みんなと接していました。

義務教育なんでね、その後の進路はそれぞれ。

それは近い未来に必ず「卒業していく」という前提があっての人間関係だったのかもしれません。
そんな感じだったので、やっぱり先生は輪の中にいるふりをして少しだけ離れたところから、みんなを見ていました。

大阪でKANA-BOONが少しだけ騒がれだしていた頃。

あきらかに意識の差というのが、彼や彼女、みんなのなかにも出てきます。

高い意識でバンドの取り込むやつら

そこに必死に喰らいついていくやつら

すねちゃってソッポを向いてしまうやつら

そんな時も先生はみんなの話を聞くわけです。

「推薦とれたし大学でもがんばる!」

「大学に行きたいけどお金がない」

「大学とか興味ない、そんなところには行かない」

みんなにはそれぞれの言い分があるんです。

卒業が近づいてくると、みんなの意識や目的の差というのがわかりやすく形になってくる。

そうなると、仲間達もだんだん話があわなくなっていく。

身近で見てた立場としては、実はその感じってけっこう辛かった。

みんな仲は良かったけどね。

やっぱり少しだけ話がかみ合わなくなる。

村上も書いていたけど、KANA-BOONがアジカンのオープニングアクトに決まった時の事。

彼らがライブハウスまで報告しに来てくれた時の事は今でも覚えてる。

その時、ライブハウスに集まっていた仲間達が「あっ」って少し気まずそうにしていたのを。

僕も無駄なところで気をつかってしまう方なので気持ちはわかるんですが。

勝手に「あ、人気でてるし、もう僕らが話しかけたらいけないのかな?」なんて、周りが勝手に気を使ってしまう感じ。

そんな遠慮、全然いらなかったんだけどなぁ。

あの時はちょっと寂しかった。

でも、僕は先生なんで。

結果が出た生徒ももちろん大事で、それは自分の事のように喜ばしいんだけど、他の生徒の事も考えないといけないわけです。

あの頃は、しきりに「おまえら、KANA-BOONに負けてるか?おまえらもがんばれよ!」って、よくtwitterで吠えていた気がします。

何を人から言われても、自分で気付けないと外野に何を言われても、本人達は「がんばれ」の意味ってわからないんですけどね。

だから「おまえらもがんばれよ!」っていう、僕の声も実は本当の意味では伝わってないんだろうな…というのは、その時もわかっていました。

「その時」にならないと、きっと言葉の意味はわかってもらえない。

そもそも「がんばる」って言葉は難しいですから。

自分なりには、みんな、がんばってはいるわけだし。

そして、あれからもうすぐ5年。

やっと「その時」になったバンドも、たぶん僕の周りにはたくさんいます。

このまんま終わってしまうと、「KANA-BOONのサクセスストリー大阪偏第一章に出てきた名わき役」で終わっちゃうんでね。

それは御免こうむりたい。

みんなにはみんなのお話があって、ありきたりな言い方だけど、みんながそれぞれ主役なわけで。

誰かの第三章ぐらいのお話で

例えば、フェスのステージ裏が、あの頃のあの場所みたいになってくれるのを切に願います。

そしていわゆる「メジャー志向」じゃないバンドも、誠実に自分達の音楽を続けて欲しいと思います。音楽やバンドは本来に有名になるためのものじゃなくて、きっとライフワークなんでね。

あの頃の思い出話を、ただの青春の美談で終わらせるのなら、僕だって反吐が出る。

ただ、例えば僕がKNANA-BOONに出会うまでの道筋にしたって

イヌガヨとThe denkibranからはじまって、そこにギャーギャーズが加わって、そこに憧れているMOTHERがいて。
そして、キドリキドリと出会って、sQueeze Leftと繋がって、KANA-BOONに出会って…なんて道筋がある。

もしかしたら誰も興味がない話かもしれないけど、そこに立ち会っていた人間としては、やっぱりなかった事にはしたくないんです。

うん。勝手になかった事にするなよ。

これは思い出話とかじゃなくてね。

雑誌やTVには出ない話だから、せめて近くにいた人間は、やっぱり全部覚えていたい。

そして昔話はこれぐらいにして、僕らももう少し先に行こう。

僕らが愛した場所をもうひとつ上のステージへ。

あの頃の自分に笑われないような、素敵な大人に僕らはならなくちゃ。

倉坂

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